2年前の3月3日の記事ですが、2年という日が過ぎた今日も現状は少しも変わらず

目に見えて生活が厳しくなるばかり

世界の空気も危ういし… 明日がまったくわからない

人間は 何処に行こうとしているのでしょう?

 

 

夢を見ていました

夢から覚めた時は とても疲れていました

もう、天国にいるはずの人で 家の中がごったがえしていて

クーもわたしの足元にくっついていて

 

父、祖父母、埼玉の叔母さん、そしてダンママも・・・

裏のおばさんまでいました

 

 

ふ~・・・ つかれたぁ~

 

なぜか まだこの世にいるMさんに追いかけられて

追い詰められて 2Fの窓から飛び降りたときを思い出しました

これは夢の話ではなく、事実なのですが

 

こんな感じに飛び降りて ケガもなく フワリと着地したのが不思議でした

天国にいる人たちが守ってくれたのでしょうか

だとすれば

今朝がたの夢は 

「**ちゃん、コロナから守ってあげるから 大丈夫だよ」 

そんなメッセージかもしれませんね

 

 

 

目で見ることも 臭いも 音もわからないコロナとかいうウイルス

(今も大気中に流れるフクイチの放射能も同じことが言えるかと)

私たち世界中の人間を立ちん坊にしてしまった

ごく当たり前の日々の暮らしが 不自由になった

 

 Mさん(母)が暮らす施設も、当然のごとく面会禁止が続いている

 同居していたときは コロナウイルス以上にコワイ存在だったMさん

 目の動き、息遣い、足音、そして内線コール・・・etc

 

 1月の誕生日以来 1度も面会に行ってなかったような気がして

 私は 初めて少し長い手紙を書いた

 

「おとうさんと おかあさんには感謝しています

 2人がいてくれたから 私は今、こうして生きていれるのだから

 だから ほんとうに ありがとう

 いつまでも おとうさんの分まで 元気でいてくださいね」

 

便せんに3枚の手紙 読んでくれたかしら

破られて 捨てられたかもしれないけど

それはそれで・・・いいのかも

 

 Mさんのお雛様を飾りました

 

 そして 私のドールハウス  小さな小さな雛祭りです 

 クーもいますね

 

 

折り鶴 毎日 折り続けています

世界に 本当の平和と落ち着きが 戻りますように・・・☆

祈りながら・・・

 

 

 

 Mさん もう10年以上前になりますが

         母と私の関係を見てケースワーカーさんがアドバイスしてくださいました

         「母」とか「おかあさん」とか、声(言葉)に出して言うのは辛いでしょう?

         これからは「Mさん」って言いましょう   

         そのアドバイスで、以後、ずいぶん楽になりました