法術の士 vs 重臣たち | 帝王学

帝王学

- THE ART OF KINGCRAFT -

────【 超 訳 】────
(末尾に『書き下し文』あり)

「術」を修めた人間は、
遠い所まで見通すことができ、また洞察力がある。

そうでなければ人を動かすことはできない。



「法」を修めた人間は、
性格がたくましく素直である。つまり剛直である。

そうでなければ人の悪事を正すことはできない。



今日では命令や法律に正しくのっとり、
きちんと職務をまっとうする人間を
「重臣」と呼んだりはしない。



今日「重臣」と呼ばれる人間とは、
命令を無視して好き勝手にふるまい、
法律を破って自分の欲求を満たし、
国の財産を使って自分の家を富ませ、
君主を自在に操る力を持っている。
そんな連中のことをいう。



君主がもし、
「術」を修めた人間をきちんと用いれば、
その洞察力をもってして、
「重臣」どもの腹の中をあらわに照らすことだろう。



君主がもし、
「法」を修めた人間をきちんと用いれば、
その剛直さをもってして、
「重臣」どもの悪行をきっちりと正すことだろう。



なので「術」と「法」を修めた人間、
つまり「法術の士」をきちんと用いれば、
いま「重臣」と呼ばれている御偉方どもは、
もれなくすべて追放されることになるだろう。



そしてここで私が言いたいのは、

「法術の士」と「重臣」、
両者は絶対に共存することはできないということだ。

なぜならば、両者は互いに「仇敵同士」であるからだ。



 智術の士は、必ず遠見にして明察なり。明察ならずんば私を燭らす能わず。能法の士は、必ず強毅にして勁直なり。勁直ならずんば姦を矯むる能わず。人臣の令に循いて事に従い、法を案じて官を治むるものは、所謂重人に非ざるなり。重人なる者は、令を無みして擅に為し、法を虧きて以って私を利し、国を耗して以って家に便し、力能く其の君を得、此れ所為重人なり。

 智術の士は、明察聴用せられば、且に重人の陰情を燭らさんとす。能法の士は、勁直聴用せられば、且に重人の姦行を矯めんとす。故に智術・能法の士用いられば、則ち貴重の臣は必ず縄の外に在り。是れ智法の士と当塗の人とは、両存す可からざるの仇なり。