【概要】五蠹篇 | 帝王学

帝王学

- THE ART OF KINGCRAFT -

五蠹-ごと-。
その名の由来は「五種類の木食い虫」。



つまり国内における五種類の「有害分子」という意味。
具体的には、
「学者」・「遊侠の徒」・「言談者」

「私人」・「商工の民」、の五種類。



この篇のはじまりは、韓非の反復古的な歴史観から出発する。
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現代はのどかだった古代とは違い、
かなり複雑になってきている。
そのため政治のあり方もこれに合わせて変えねばならない。
「仁義」の精神は古代にこそ有効であったかもしれないが、
現代においては時代錯誤も甚だしく、
それに固執するのはまことに愚かなことだ。
そして今まさに、この「時流」を見ずに、
仁義や愛といったもので政治を説いているのが、
儒家や墨家の「学者」どもだ。
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韓非はまず「学者」をやり玉にあげる。
そして学問を売り物にする学者に対し、
私的な武力によって国家の秩序を乱そうとするのが
「侠(きょう)」、つまり「遊侠の徒」であるという。



韓非はこの二者を徹底的に批難していく中で、
【「義になつかず勢に服する」といった人間の本質について】
【君主が学者や侠を養うことは

君主にとって害になるという事実について】
【「公」と「私」の概念について】
【「法」「術」「勢」による君主のあり方について】
などの論議をくり広げている。



そしてその上で民がひたすら農作業と軍事に専念できるような
「目標とすべき国家体制」を提示している。



また韓非はこのような国家観から
合従の計(※)や連衡の計(※)を巡らす
「言談者」の説の危険性を指摘し、
ついで、兵役・租税の負担を逃れて重人に追従する「私人」、
さらに、農民から利潤を奪う「商工の民」にも矛先を向ける。



「学者」・「遊侠の徒」・「言談者」・「私人」・「商工の民」。
これら五者を国内の有害な害虫「五蠹」とし、
これら五蠹と、まじめに農作業・軍事に従う

一般人民たちとを対比しつつ、
政治の現状と課題を問うことにこの篇の基軸が置かれている。



… 『史記』によると
秦王政は「孤憤篇」と、この「五蠹篇」を見て感嘆したという。
また秦の二世皇帝の言葉や、
二世皇帝に応えた『李斯(りし)の上奏文』にも
この篇の一節が引用されている。



つまり秦国の君主たちはこの篇の内容に対して、
大いに注目していたということである。



(※)合従の計(がっしょうのけい)
連合を組んで勢力を強大にすること。
(※)連衡の計(れんこうのけい)
そいうった連合を内部から解体させること。