1976年(S51)4月、東京の神学校に進学して

女性牧師となっていたSさんが、

今年4月、神奈川県内の教会から

遠く東北・山形県内の教会へ、お連れ合いの牧師先生と共に転任し、神さまの御用を始められました。

5月、岡山県北の実家で一人暮らし、

県南に住むSさんの妹さんが、毎週のように親孝行、訪ねている母親をSさんも転任した教会のことなどの報告も兼ね、

新任地から帰省し、去年に次いで

17日、わたしと会うことになりました。

 

Sさんは、クリスチャンの家庭に育ち、

3学年に進級した時には、既に女性牧師を志していて、

進学先も調べていたのでしょう、クラス担任したわたしの、

「何が起こるか分からないから、もう一校受験したら…」の、”普通”の勧めに、「神さまに示されましたから」だったと思うのだけれど、

すでに神さまの召命に信頼する恵みの中にあったと思われ、

一校のみを受験して見事、「合格!」…

神さまに導かれ一人、無縁の東京へ旅立って行きました。

       …48年前、わたし40歳のときでした。

 

      がんばろう

  がんばろう つきあげる空に

  くろがねの男のこぶしがある

  燃え上がる女のこぶしがある

  闘いはここから 闘いは今から

Sさんたちを送り出して、

4月、わたしも転勤となり、新しい職場に移り、

担当教科の”授業”が第一ですが、組合運動も大事としていて

岡山県高等学校教職員組合、岡山県北部地区の”執行委員”に選ばれたりして、教会生活は二の次だったと振り返ります。

 

Sさんは岡山県北部の生まれから、今度、北の山形県へ

わたしは新潟県から、思いもしない南の岡山県へ

「すべて、神さまが運んでくださっているのだよね」

妹さんの車で岡山駅へ、赴任地へ発つ前の一時間ほど…

Sさんとの ”来し方行く末”、

早口、語り合う互いの、まざまな出来事での、

繰り返す、恵みの結論となる一致点でした。

 

山形県から持参のお土産

                  いただきました。

これからも共に、近くにおられる神さまに信頼し、神さまに人生を支配していていただきたく願う者です。

2024.5.18