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こんちゃんの「社会世相を斬って、見てみる」

身近な話題から時事問題まで、自分の感性の働きから感じた事、考えた事を、斬って、見てみる。

今年の大河ドラマの主人公は紫式部で、来年は蔦屋重三郎だそうだ。

 

 

蔦屋重三郎が活躍し始めたのは、田沼意次が権力を握っていた時代だ。

 

 

来年の大河ドラマではハリウッドスターでもある渡辺謙が演じるとのことだ。

 

 

田沼意次はかつての教科書では、賄賂政治家というイメージが強く、あまりいい印象がないが、おそらく、今回はそのイメージを一新させる演出が為されるのかもしれない。

 

 

今年の藤原道長も、俳優の演技も相まってかなり、イメージが変わったと思う。

 

 

田沼意次の次が、松平定信の寛政の改革で、綱紀粛正が叫ばれた時代だが、これは当時も巷の評判は悪かったそうだ。

 

 

有名は短歌「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」にも現れている。

 

 

昨今、コンプライアンスがうるさい。

 

 

正論が唱えられるものだから、反論できず、口を閉ざしてしまう。

 

 

だが、その正論によって、民主主義の根幹となる言論の自由を封殺してしまっていないだろうかとも思う。

 

 

「正論」と称されるものは、ある枠組みなり、前提条件の下で、「正しい」とされている話にすぎない。

 

 

「正しさ」は時代によって変わるし、地域によっても変わる。

 

 

グローバルスタンダードと呼ばれるものも、現時点で思想面でもイニシアティブを取っている欧米の考え方に沿ったものであって、絶対的なものでもない。

 

 

また、大多数が支持していることが、必ずしも「正しい」というわけでもない。

 

 

一部の人がいい思いをしたり、自分は労せずして上手いことフリーライドしてしまう人もいる。

 

 

そうした人を目の当たりにすると、「けしからん」と思ってしまうし、それがそうしたことを排除するために社会制度はどんどん複雑になっていく。

 

 

格差が見える化されることで、「けしからん」という突き上げも起きるのかもしれない。

 

 

ただ、「けしからん」とあまりに綱紀粛正・コンプラ遵守を唱えると、みんなが貧することになる。

 

 

そして、「田沼恋しき」という心情になる。

 

 

かといって、誰かが抜け道でいい思いをすることがいいとも思わない。

 

 

では、そうすればいいのか。松平定信はどうすれば良かったのか。

 

 

実は伝え方の問題、コミュニケーションの問題なのではと思ったりもする。

 

 

「これをするな」「これは禁止」「けしからんから罰」ということでは、みんな萎縮してまう。

 

 

心理的安全性が極めて乏しい状況になる。

 

 

綱紀粛正にみんなが進んで実践するやり方もあるのかもしれない。

 

 

孫子の兵法では、敵が喜んで自陣に賛同してくるような施策が上策とされていた。

 

 

それに倣えば、みんなが腐敗を粛清することに、自ら進むようなコミュニケーションのやり方があるのかもしれない。

 

 

行動経済学で言われる「ノッジ」というものなのかもしれない。

 

 

それを仕組みやコミュニケーションで組み込むことができるのか。

 

 

最近、行き過ぎた健康志向の反動として、激辛とか、ジャンクフードが人気を集めているという話も聞く。

 

 

従前の健康志向の言説に、上から目線な、押し付け的なものがあったのではないか。

 

 

そんなことを思うのです。