大きなビジョンに詳細データは必要ない。 | こんちゃんの「社会世相を斬って、見てみる」

こんちゃんの「社会世相を斬って、見てみる」

身近な話題から時事問題まで、自分の感性の働きから感じた事、考えた事を、斬って、見てみる。

社会がどんどん変化し、なかなかこれといった感じでは定まらない。

 

 

先の展開が読めないことも多く、何かビジョンをと言われても立てにくいかもしれない。

 

 

だが、そんな時だからこそ、大なり小なり外すのであれば、多少なりとも大風呂敷を広げることはありなんじゃないかと思う。

 

 

大風呂敷というか、ちょっと飛躍し過ぎだと思うようなことも念頭に置いて良いんじゃないか。

 

 

また、全く違う分野から着想を得るということもあるかもしれない。

 

 

大きく変えようと自分で思っていても、その思いは、外からはあまりに小さく、狭い視野での考えだ、と見えるかもしれない。

 

 

あれこれと考えが浮かぶにしても、結局は今の自分達を維持するための方策を並べているに過ぎない、と思われても仕方がないようなことばかりだったりする。

 

 

自分では森を見ているつもりでも、実は一本の木の枝を見ているに過ぎないかもしれない。

 

 

会社の経営者だとか組織のリーダーといった人たちは、ビジョンを掲げ、そこに共鳴してくれる人たちを導く役割を担う。

 

 

今の時代であれば、やり方はなんでもあり、といった状態にあるのだろうし、必ずしも大きな資本投下だけが実現の道筋ではない。

 

 

変化が激しいから、ビジョンをじっくり考えてなんてことをしていると、あっという間に何周もの周回遅れになってしまう。

 

 

周回遅れでもまだコースに残っていれば良いが、コースから弾き飛ばされたり、大きいところに吸収されてしまったり、といったことも起きるだろう。

 

 

遠いけど大きなビジョンを示せば、個々人の思いの多少のずれは誤差の範囲となってくる。

 

 

そうしたビジョンを描くのには、詳細なデータよりも自分達が依って立つ前提をどこまで疑うかといったことかもしれない。

 

 

柔軟な発想と言えばそれまでなのだが、自分が柔軟だと思っていることの遥か上を行く柔軟な考えの持ち主はいくらでもいる。

 

 

一方で「改革」と称していながら、自分達の既得権益を守り抜こうとする姿勢もあちこちの分野で見受けられる。

 

 

変化の激しい時代だからこそ、広い視野と遠い視座が経営者などのリーダーには求められるだろうし、自分達が思っているほどには広くもなければ遠くもない、という謙虚さも必要なんだろう。