少しの感覚の温度差が深刻な対立を生む。 | こんちゃんの「社会世相を斬って、見てみる」

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身近な話題から時事問題まで、自分の感性の働きから感じた事、考えた事を、斬って、見てみる。

目に見えないものへの恐怖は、人によって感じ方の差が激しいのだろう。

 

 

コロナウイルスにしても、大丈夫だろうと思って友人らと食べに行く人もいれば、極端なまでに怖がり、外出すらほとんどしない人もいる。

 

 

1人だけの問題なら、どういう行動であっても構わないのかもしれないけれど、そうはならない。

 

 

特に、コロナウイルスのような感染症では、自分が感染していると、無症状であっても人の感染させてしまう可能性がある。

 

 

感じ方の差があったとして、そこに力関係が加わるとさらに厄介なことになる。

 

 

大丈夫だろうと思っている人の方が力が上で、怖がっているしたの人に対して、「そんなの大丈夫だろ」という感覚で指示を出すこともあるし、またその反対のこともある。

 

 

一人一人についてはちょっとした感覚の温度差かもしれないが、それが政府の施策だったり、会社の経営だったり、といったことに影響を及ぼす可能性もある。

 

 

今まであればなんとなく足並みが揃っていた部分に、ちょっとした温度差によって組織の体制が乱れることもある。

 

 

コロナウイルスは、覆い隠されてた個々人の間に以前から温度差を浮き彫りにした。

 

 

今までの温度差は、まあ、ちょっとずつ我慢することでなんとなっていたかもしれない。

 

 

ただ、コロナウイルスは下手すると死に至る。

 

 

自分が死に至らなくても、コロナウイルスを巡って大きな分断が生じることで、社会的な不利益を被ることもある。

 

 

そうなると我慢というレベルで済まされなくなり、ちょっとした温度差が深刻な対立構造を生むことにもなりかねない。

 

 

特に、集団を束ねている立場にいる人間は、自分の感覚だけで判断する危険性について、もっと注意を払った方がいい。

 

 

そんな事を色々なところで見聞きしながら思うのです。