呆気に取られている場合ではない。 | こんちゃんの「社会世相を斬って、見てみる」

こんちゃんの「社会世相を斬って、見てみる」

身近な話題から時事問題まで、自分の感性の働きから感じた事、考えた事を、斬って、見てみる。

地位が上がるほど、大所高所から物事を見ることができ、より大局的な判断が下せるものだと思うけれど、現実にはそうなっていないことが多い。

 

 

上のポジションに立っている人ほど、やたら細かいことに終始し、一向に大きな将来像を示さない。

 

 

細かいことに口を出して、やってる感だけを演出している。

 

 

今年(2020年)のように大きく社会が変わる以前から、人の上に立つことが、自分のポジション維持・向上だけを目的でしか無くなって来た。

 

 

成し遂げたい夢やビジョンがあって、そのために上を目指すと言うことはどんどんと無くなって来たような感じがする。

 

 

そして、以前であれば、なぜそのポジションを目指すのか分からないと言う人に批判的な目線を向けられることも多かったが、今はそうしたことも少なくなって来た。

 

 

自分のポジションを取るためだけで何が悪い、と言う開き直りの前に屈してしまっているのかもしれない。

 

 

開き直り方が、あまりに馬鹿馬鹿しいので、呆気に取られてしまい、その間にも開き直りによるポジション維持だけのための言動だけが進んでいってしまう。

 

 

それを言ってはおしまい的なこともまかり通ってしまう。

 

 

あまりの馬鹿馬鹿しさに気が付いた時には、事態はさらに深刻になっている。

 

 

深刻な事態には、本来ならば一致団結して立ち向かわなければならないはずなのに、すでにその段階では内部でも深刻な対立構造が生まれている。

 

 

ほとんど交わることもない対立によって、解決はさらに遠のいてしまう。

 

 

そうなると、崩れ去るのをただ黙って見ていることだけしかないのだろうか。

 

 

そんな中でも何かやれることはないだろうか。

 

 

ふとそんなことを漠然と思ったりしたのです。