コロナが忘却を加速させる。 | こんちゃんの「社会世相を斬って、見てみる」

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お盆休みでもあるが、帰省を控える人も多い。

 

 

東京から来る人を拒む風潮が地方の一部に見られるとの報道もある。

 

 

都心は猛暑であるものの、外を出歩く人はそこそこいる。

 

 

それでも、かつてほどではない。

 

 

そもそも猛暑の中で外に行くのは辛い。

 

 

密を避けた形で外に出歩くとなると、どうしてもオープンスペースのところになる。

 

 

レストランなどでもオープンテラスのあるところが好まれる。

 

 

だが、外は暑い。

 

 

百貨店やショッピングモール、あるいは美術館や映画館などは、密にならないように気をつけており、サーモグラフィのカメラを設置しているところも増えてきた。

 

 

東京の都心であれば、まだそうした施設が多いけれど、郊外ともなると、なかなかそうもいかない。

 

 

自動車が日常で必要不可欠なところであれば、まだ出掛けることもできるかもしれないが、首都圏のちょっと郊外、そこそこ公共交通機関はあるようなところだと、必ずしも自動車が必須というわけでもない。

 

 

となると、家に閉じこもりがちになる。

 

 

コロナと熱中症のリスクに怯えながら、でも、家に閉じこもることでメンタルも結構やられる。

 

 

少し鬱々とした気分で8月15日を迎えることになるのだろうか。

 

 

戦没者の遺族の方々も高齢化していて、コロナ禍では高リスク者になる。

 

 

お盆で帰省する人も少なくなり、いつもであればやっていたであろうイベントもやらなくなる。

 

 

そうやって2020年の夏が過ぎていくことで、あらゆることが忘れ去られていくのかもしれない。

 

 

現在の政府は、ちょっと前までの出来事を記した文書ですら廃棄してしまうそうだ。

 

 

文書が捨てられて、しかも、今回、あらゆるイベントが中止になったとしたならば、来年度以降に催し物が復活することが難しくなってきてしまう。

 

 

過去の記録を参考にすることが出来なくなるから。

 

 

先の広島と長崎の原爆慰霊の式典では、件の首相はほぼ同じ原稿のスピーチをしていたそうだ。

 

 

形骸化の極みだろう。

 

 

忘却への一歩として形骸化がある。

 

 

コロナが過去の歴史からの反省を忘却に押しやっているのだとしたならば、かなり罪作りなことだと思う。