ブルーライト・ヨコハマ | 虎野 門次郎の晴れ時ドキブログ

虎野 門次郎の晴れ時ドキブログ

♪地球上の上に朝が来る その裏側は夜だろう

初めまして虎野 門次郎です。チープで拙いブログですがよろしく哀愁です。

先日テレビを見ていたら、DVDデッキのリモコンのボタン[⏩](右向き)は「早送り」ですが、[⏪](左向き)は何と言いますか?

と言う問題と言うか質問があり、迷わず「巻き戻し」と(テレビに向かって)答えました。

ブー!不正解❌
正解は【早戻し】⭕

なにっ?👀 リモコンを見てみると、確かに【早戻し】になってる。
なるほど、よく考えてみると【ビデオテープ】なら「巻き戻し」で合ってるけど、DVDディスクで「巻き戻し」じゃおかしいもんね。やっぱり【早戻し】で正解ですよね。

若い人はみんな知ってるみたいだけど、おっさんは知らなかったです😅
ちょっとした「ジェネレーションギャップ」であります。

そうだよな〜生まれながらにCD世代の若者たちと、レコード聴いて育ったオレたちひょうきん族世代。
45回転に33回転とかA面B面なんて、懐かしいフレーズですよね♪
ガキの頃はうちに78回転なんて言う【古いレコードプレイヤー】もありました。

子供の頃  近所に、勉強もしないでいたずらばかりしてるヤンチャな3兄弟 通称【3馬鹿兄弟】がいました。
男ばかりの3人兄弟で、みな自分より歳上だったので、よく遊んでもらいました。

メンコなんかやっても向こうの方が強いから、負けて全部取られちゃう。悔し泣きすると「分かったよ〜」って感じで取られたメンコを返してくれて、後はわざと負けてくれました。

私にとっては《優しい兄貴分》でした。3馬鹿の父親はうちと同じ酒乱の親父で、おふくろさんは随分泣かされて、苦労をしていました。当時うちの町内には(うちの親父も含めて)3人の酒乱の親父がいましたが… それこそ3馬鹿親父でした😅

しかし3馬鹿兄弟の親父さんは、早くに亡くなりました。その後おふくろさんは細い体で、女手ひとつで3人の息子を育てていました。3馬鹿の家は所謂「母子家庭」だったんですね…

当時文京区役所の隣りに【文京公会堂】がありました。現在の【シビックホール】です。3馬鹿兄弟にくっ付いて区役所に行くと(何課だったかな?)ドリフの『8時だョ!全員集合』や、『コント55号決定版』公開生放送の観覧招待券(ハガキ)が貰えました。子供心にちょっと不思議に思ってたけど、今思うとあれは多分  母子家庭に対する区の援助の一環だったのではないか?と思う。

ある日  3馬鹿のおふくろさんが、一生懸命働いて稼いだお金で、レコードプレイヤーを買って来ました。
当時のプレイヤーは  うちに有った物でも手動式(手でアームを動かす)が主流だった(と思う)

そんな時代に3馬鹿のおふくろさんは、(金額は分からないけど)自動式のプレイヤーを買ったんです。
               
               (スゲーっ!)

早速  プレイヤーを見に3馬鹿の家に遊びに行きました。
因みに3馬鹿の家と自分のうちは、4件長屋の端と端(近い距離)でした。だからお互いの家で夫婦喧嘩(とは言え 親父が酒飲んで ひとりで暴れてるだけ)が始まると、その声でお互いに分かりました 😓

3馬鹿のおふくろさんはいしだあゆみさんが好きだった(ご本人もちょっと似てた)ので、最初に買ったレコードは  当時の流行歌だった『ブルーライト・ヨコハマ』でした。
レコードはそれ1枚しか無かったので、その1曲を繰り返し何回も聴き、アームが自動で帰って来る様を心ときめかせながら、みんなで眺めていました。
この曲を聴くと  当時の事が思い出されます…


『ブルーライト・ヨコハマ』
                 (1968年)

街の灯りがとても
きれいねヨコハマ
ブルーライト・ヨコハマ
あなたとふたり
幸せよ
いつものように
愛の言葉をヨコハマ
ブルーライト・ヨコハマ
私に下さい
あなたから

歩いても歩いても
小舟のように
私は揺れて
揺れてあなたの
腕の中

足音だけが
付いて来るのよヨコハマ
ブルーライト・ヨコハマ
優しいくちづけ
もう一度

歩いても歩いても
小舟のように
私は揺れて揺れて
あなたの腕の中
あなたの好きな
タバコの香りヨコハマ
ブルーライト・ヨコハマ
二人の世界
いつまでも

作詞  橋本淳
作曲  筒美京平
  歌    いしだあゆみ

『ブルーライト・ヨコハマ』のB面はどんな曲だったか?覚えて無いな…

*うだうだミュージック90曲