論より笑呼 | 虎野 門次郎の晴れ時ドキブログ

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♪地球上の上に朝が来る その裏側は夜だろう

初めまして虎野 門次郎です。チープで拙いブログですがよろしく哀愁です。

    君はどこに住んでいたのですか

               高円寺じゃないよね

  ( いゃ 高円寺に住んでましたよ 笑 )

    ジュリー  ショーケン  欽ちゃーん

                    ああ それが青春

吉田拓郎さんが歌ってました♪
(欽ちゃんって萩本欽一さんのことです)
ガキの頃 コント55号 凄い人気でした。
欽ちゃんのブロマイドの売り上げが凄かったって話ですけどね。
でも浅草にある『マルベル堂』には55号のブロマイドが売って無かったんですよね。店員さんに「55号のブロマイドは置いて無いんですか?」って聞いたら 当時55号は急激に売れちゃった事もあり、  写真を撮る時間も無い程忙しかったそうです。だからブロマイドも作って無かったと。
因みに 明石家さんまさんの子供の頃のアダ名が《欽ちゃん》だったそうです😊

【欽ちゃんとの短い会話】

2009年3月に さい帯血移植を終えて病院を退院し9月に浅草&上野に於いて『第2回したまちコメディ映画祭in台東』を観賞   クロージングセレモニーにて舞台上ふたりが揃った55号の 最後の姿を見ました。

同年10月25日 茨城県桜川球場にて行われた欽ちゃん球団『茨木ゴールデンゴールズ』の試合を観に行きました。まぁ試合もそこそこ面白かったけど その日の目的は試合後 欽ちゃんにサインをもらうことでした。

試合後 観客(全員)とのサイン&握手会が行われる事は あらかじめテレビで見て知っていたので、色紙2枚と萩本欽一著書『なんでそーなるの!』の本を持参しました。

ところがその年(2009年)はインフルエンザが流行しており 、【本日のサイン会はインフルエンザ感染予防につき  中止いたします】と貼り紙が貼られていたので(試合後)それを見て、ほとんどの人は帰ってしまっていました。

自分も諦めて球場を後にして帰ろうとした(駐車場に向かった)時、 控え室の窓硝子の向こうで 椅子に座ってファンにサインをしている欽ちゃんの姿が見えました。

 (あれっ?やってんの?)

車を運転して  同行して来てくれた会社の同僚の方(年長者の方)が、 先に駐車場に行って車を温めてくれていたのですが、
その方には車の中で待っていてもらい  順番待ちの列の後尾に並びました。

もう心臓はドキドキ  ドキドキ  ドキド欽ちゃんスピリッツ   欽張していました。
何十人ぐらいいたかな?(50人ぐらい?)
自分の後ろにもまだ多くさん並んでいる人がいました。

間も無く緊張している自分の番が廻って来ました

 (よし  元気よく行くぞッ!)

開口一番「したまちコメディ映画祭コメディ栄誉賞授賞おめでとうございます!」

「うん 」(この時 何を言われたかは覚えて無いけど) 

「僕   あの時浅草公会堂で見てました」

「あぁ そう」

「二郎さん 一緒で良かったですよね   もしかしたら(体調悪くて) 来れ無いんじゃないかと 思いましたけど」

「うん 二郎さんね…」(欽ちゃん  黙っちゃった)

(あれっ?オレなんか悪い事言っちゃったかな) そんな空気
後ろに並んで待ってる人たちの事が気に成ったけど 、欽ちゃんの字の上手さにちょっと驚いて見惚れていました。

色紙2枚と本1冊の3点だったので(軽くサラサラっと書いてくれれば良い)ぐらいに思っていたんですが、欽ちゃんがまた丁寧にゆっくりと書いてくれて、余計焦っちゃって…後ろの人たちばっかり気にしてました。

すると不意に「名前は!?」

      「はい  さとしです!」
   
   (咄嗟に下の名前言っちゃった)

冷静に考えたら普通は上の名前(姓)を言いますよね   緊張してたから(苦笑)

「ん?さとし?」(ちょっと考えて)

「どんな字書くの?」

「はい  みみへん(耳)に おおやけ(公) のこころ(心)です」

(すかさず欽ちゃん)「あっ、ハムね」

その発音と間が可笑しくて 、思わずプッと吹いてしまいました(スタッフの人たちも笑ってました 😄)
いつもなら自分も「みみ、ハム、こころ」
って言うんですけど、ちょっとカッコ付けちゃいました(苦笑)
そこを欽ちゃんに突かれちゃいました。
それで緊張も一気に飛びます⤴ 飛びます⤴飛びました😊
ふと(欽ちゃんの)サインを見るとサインの横に『論より笑呼』のお言葉が…

ガーン❗ハンマーで後頭部を殴られたような衝撃を受けました。
(素敵な言葉をプレゼントしてもらった💓) 
感激しながら  茨城を後にしました…


            
【浅草徳仙】

数ヶ月後  浅草六区の通り沿いにある食事処『徳仙』と言うお店に行きました。
ここは55号のふたりが浅草で修行時代 よく食べていたと言うお店で、場所は『捕鯨船』の並びなんですね。
そこで若い頃の欽ちゃんはよく《アジフライ定食》を食べていたそうです。
自分もそれが食べたくて、お店に入りました。
もう「絶対《アジフライ定食》だっ!」と 注文する品は決めていたんですが、  一応 メニューを見るフリをして、暫く壁を眺めていました。
すると何枚かサイン色紙が飾ってあって、  欽ちゃんのサイン色紙がありました。

欽ちゃんはサインする時  相手によって漢字で【萩本欽一】って書く場合と、ひらがなで【はぎもときんいち】って書く場合と、 使い分けてるんですね。
自分が書いてもらったサインはひらがなバージョン(素人さん用)でした。

でっ、壁に飾ってあるサインをよく見てみると『論より笑呼』のお言葉が👀

   (あれっ?) ズッコケちゃん⤵

てっきり自分だけに贈ってくださったお言葉だと、勝手に勘違いしていました😅


でも《アジフライ定食》美味しゅうございました😊


【追記】
                     
すっかり『したコメ』ロスで食欲も……旺盛ですけど(ならいいじゃん)でも下痢です⤵

以前うちの親戚が年賀状の宛て名を間違えて『聡』じゃなくて『恥』って書いて送って来まして

    「ハム抜かしちゃダメだよ〜」

しかも2年連続で来たから、
「お前は身内の恥だ」って意味か?って、 さすがに3年目には電話で言いましたけど😅 マジで間違えていたらしいです(苦笑)

そのまんま東さんの話で可笑しかったのが、たけし軍団の松尾伴内さんが欽ちゃんに弟子入りしようと思って手紙を書いた時  《欽ちゃんへ》って書くところ 漢字間違えちゃって《鉄ちゃんへ》って書いちゃったって👀  ホントかよ(笑笑)


村田英雄さんがキヨスクの売店で「村田だ  ガムくれ」なんて本当に言ったのかよ とかね(笑笑)
*これは『ビートたけしのオールナイトニッポン』のネタですけど、今だにキヨスクの前を通る度に思い出し笑いをしています😄

あっ 松尾伴内さんって言えば、高円寺に住んでいた頃 の話…
あるラーメン屋さんで(客が)伴内さんと僕のふたりっきりに成っちゃった時があって、こっちは餃子つまみにビールを呑んでて、 伴内さん(確か同い年)は黙々とラーメンを食べてました。話し掛けたくてしょうがなかったんだけど 、何か負のオーラが出てたと言うか(いゃ)《プライベートだから悪いかな》と思って 黙ってました。

因みに 二郎(坂上)さんは2年後の2011年3月10日 東日本大震災の前日に亡くなりました。
欽ちゃんにサインを貰った頃は おそらく病状も良く無かったんだと思います。

欽ちゃんに書いて貰った2枚の色紙の内 1枚は、病院に入院した時  同じ患者仲間だった方のご家族の方に差し上げました。
もう1枚は一緒に茨城まで付き合ってくれた先輩の方に差し上げて 、『論より笑呼』のお言葉入りの本は  自分の手元に残し、その後(2011年)病院に入院した際も、ずっと ベッドの枕元に置いて寝ていました。
      今でも 僕の大切な宝物です✴







*吉田拓郎『高円寺』『青春の詩』より引用