私は今、全てを女仙に委ねています。今だけでなく、残りの人生を全て。


退路を断ち、自宅神殿だけでなく、産土神社でも誓いましたので、逆艪はありません。


道士としては、神仙に全てを委ねることは、最終カードを切ったことを意味します。


今、元祖1さんの考えを紹介していますが、最終カードを切った直後に元祖1さんのことを知りました。


元祖1さんの考えは、今の私の考えに最も近く、勉強させて頂いてます。


私は、今まで何度もこの最終カードを切ろうとしましたが、


もし、宮地神仙道の聖地での生活が叶わなかったら。弥山山麓での生活が叶わなかったら。


そもそも、願いを手放してしまうと、全く何も動かなくなってしまうのでは…。


と思ってしまい、なかなか最終カードを切ることが出来ませんでした。


そんな私に最終カードを切らせて下さったのは、柳生宗矩先生です。


もし、「兵法家伝書」がなければ、未だに神仙に全託は出来ていなかったかもしれません。


柳生の里までご挨拶に行くご縁を頂けると嬉しいのですが、女仙と柳生宗矩先生に委ねたいと思います。


全てを女仙に委ねた途端、自然に女仙のお望みの地なら何処へでも行く気になっています。


宮地神仙道二大神仙を自宅神殿にお祀りして、全く今まで考えもしなかった土地行くこととなる人生は、ちょっと考えにくいですが、そんな考えも捨てます。兎に角、女仙のお働きを邪魔する考えは、徹底的に捨てます。


どうぞ女仙の願いを成就なさって下さい。


御心のままになさって下さい。


私の全てを委ねます。


私の残りの人生を全て女仙に捧げます。


最後に今回も元祖1さんの言葉と「努力論」幸田露伴著の言葉を紹介します。


貴女に女仙のご加護がありますように。



潜在意識とは対話するものではありません。全て委ねるものです。


願望設定は自分でするものでなく、潜在意識に委ねるものです。


他力によって新しい自己を造るという道の最も重要な点は、自分は自分の身を寄せているところの人の一部分同様であるという感じを常に存する事なのであって、決して自己の生賢しい知恵やなんぞ出したり、自己のために小利益を私しせんとする意を起こしたりなんぞしてはならぬのである。


他人によって自己を新たになそうとしたならば、昨日の自己は捨ててしまわねばならぬのである。


他力によって自己を新たにするのには、何より先に自己を他力の中に没却しなければならぬのである。ちょうど浄土門の信者が他力本願に頼る以上はなまじ小才覚や、えせ物識を棄ててしまわねばならぬようなものである。


他力に頼るのは易行道であって、これは頗る難行道である。何ゆえ難行道であるかというに、今までの自己がよろしくないから、新しい自己を造ろうというのであるのに、その造ろうというものがやはり自己なのであるからである。