「竹取物語」 かぐや姫の昇天

かぐや姫いふ。「さし籠めて、守り戦ふべきしたくみをしたりとも、あの國の人を、え戦はぬ也。弓矢して射られじ。かくさし籠めてありとも、かの國の人來ば、みな開きなむとす。あひ戦はむとすとも、かの國の人來なば、猛き心つかふ人も、よもあらじ」。

翁のいうやう、「御迎へに來む人をば、長き爪して、眼をつかみ潰さむ。さが髪をとりて、かなぐり落とさむ。さが尻をかき出でて、ここらの公人に見せて、恥を見せむ」と腹立ちをり。

かぐや姫のいはく、「聲高に、なのたまひそ。屋の上にをる人どもの聞くに、いとまさなし。いますかりつる心ざしどもを思ひも知らで、罷りなむずることの口惜しう侍りけり。長き契りのなかりければ、程なく罷りぬべきなめりと思ふが、悲しく侍る也。親達の顧をいささかだに仕うまつらで、まからむ道も安くもあるまじき。日比も出でゐて、今年ばかりの暇を申しつれど、さらに許されぬによりてなむ、かく思ひ嘆き侍る。

み心をのみ惑はして去りなむことの、悲しく耐へがたく侍る也。かの都の人は、いとけうらに、老いをせずなむ。思ふこともなく侍る也。さる所へ罷らむずるも、いみじく侍らず。老ひ衰へたるさまを見たてまつらざらむこそ戀しからめ」と言へば、翁、「胸痛きこと、なしたまひそ。うるはしき姿したる使にも、障らじ」と、ねたみをり。

 

このかぐや姫の言葉は、月の仙女がどのような方々なのかを知る事が出来る大変貴重なものです。

 

月の都の人と戦えない。

弓矢をもってしても射る事が出来ない。

鍵をかけていても、月の國の人が来たなら、皆自然に開いてしまう。

月の都の人は、とても美しく、老いもしないし、悩み事もない。

 

私が日々神拜、修法、掃除、道書等の勉強をするのも、全て我家を何処より女仙界に近き場所にする為。仙女方のお力で、仙桃庵に来て下さる方の心身の悩み苦しみを癒して差し上げる事の出来る場にする事が私の願いです。

また、このかぐや姫の言葉に

 

さし籠めてありとも、かの國の人來ば、みな開きなむとす。

 

とありましたが、先日少し話した知花敏彦氏は、ヒマラヤで修行中、鍵をかけていても、師が入って来られた。と話しておられた事を思い出しました。

私は、山岡鉄舟先生に憧れ坐禅をする前、此の方に多大な影響を受けて、瞑想を始め、何度も広島から清里まで話を聞きに行きました。最後は広島には帰ってこないつもりでいたのですが、母が、家の横の無花果畑の無花果で私の大好きなジャムを作って、持たせてくれ、何も言わず、私を駅まで見送ってくれました。

今でもその時の事を思い出すと、母に悲しい想いをさせてしまった事に胸が痛みます。

ゴメン、母ちゃん。心配かけて…。ぐすん

 

でも、うち…真顔色々あってその後すぐ戻ってきてん。バレエ

 

「根性なしニコ

 

孝行息子って言ってデレデレ

 

「放蕩はてなマークもぐもぐ

 

孝行ムキー

ガーンあせる

また、次回。バレエ

仙女方のお力で、地球も月球の仙界のように老いや苦しみのない星になりますように。