浦島子について書いてきましたが、宮地厳夫先生も「本朝神仙記伝」の中で、浦島子について書き残して下さっています。

雄略天皇紀、淳和天皇紀、丹後風土記、浦島子傳を参考に、大変美しい物語を書いておられます。

 

私は、龜比賣、女娘とは、市杵嶋姫命の事を解していますので、先ずは、方全先生(宮地厳夫先生)が、龜比賣、蓬莱山をどのように書いておられるか、そして、丹後國風土記にはどのように書いてあるかを紹介したいと思います。

 

「本朝神仙記伝」水江浦島子

 

島子獨小舟に乗り、海上に出て釣を垂る、一魚をだに得ず、乃ち靈龜を得たり、心に奇異の思ひを爲し、舟中に留め置けるに、島子頻に眠を催ほす間に彼龜忽化して女娘となりぬ、其容貌美麗にして、更に比すべきものなし

 

女娘答けらく、妾は是れ蓬莱山の女にして、金闕の主なり、不死の金庭、長生の玉殿は妾が居所なり、父母兄弟も亦彼仙房に在り、妾在世の時子と夫婦の儀を結べり、然るに我は天仙と成て、蓬莱宮に楽み、子は地仙と作て澄江の波上に遊ぶ、今宿昔の因に感じ、俗境の縁に随ひ、子を蓬莱に迎へて、曩時の志願を遂げ、羽客の上仙と為しめんとすと

 

仙女島子に教へて暫く目を眠らしむ、須臾にして蓬莱山に到る、其地玉を敷るが如し、臺閣腌映(だいかくゑんおう)として、僂堂玲瓏たり、是に於て仙女島子と相携へて仙宮に至る、島子を門外に立しめ、仙女先金闕に入り、父母に告て後共に入る、仙女の父母共に相迎へて殿中座定まり、人間仙都の別を説き、人神偶會の嘉を祝し、乃ち百品の芳味を列ね、兄弟姉妹等杯を擧て献酬をなし、仙楽寥亮(れいりょう)をして、神舞逶迤(しんぶいし)たり。其歡楽を極むること人間に万陪し 日の暮るを知らず 

 

是に於て、島子仙女と玉房に入り、眉を雙べ袖を接へて、始めて夫婦の理をなす。薫風寶衣を飜して、組帳香を添へ。紅嵐(こうらん)翡翠を巻て、容惟玉(よういぎょく)を鳴し、金窓斜に見えて、素月幌(そげつとばり)を射、珠簾(しゅれん)微く動きて、松風琴を調ぶ 朝には金丹石髄を服し、夕には、玉醴瓊槳(ぎょくれいけいしょう)を飲む、何の歡楽か之れに如む

 

仙女深く別れを惜みて仙境のならひ、一たび去って再び來り難く、縦令故郷に歸り給ふとも、定めし往日の如くには非ざるべし、寧ろ爰に留まり給ふに如ずと、懇ろに留ると雖も、島子強て歸らんと云ふにぞ、今は其留むべからざるを知り、玉匣を取出して、島子に授けて云ひけるやう、君若妾を忘れず、再び逢ふの期を見んと思はば、必ず此玉匣の緘(ふう)を開き給ふなと誡め、遂に相分れて辞し去りける。

 

次回は、丹後國風土記から、龜比賣、蓬莱山が同様に画かれているかを紹介したいと思います。