経済協力開発機構(OECD)は4日、世界57の国・地域の15歳約40万人を対象に2006に実施した学習到達度調査(PISA)の結果を発表した。

結果、日本は全科目で前回より順位を後退した。(関連記事1面)


今回の調査で判明した日本の「成績低下」は全国学力テストでも指摘された応用力不足が裏付けた。

科学への無関心や学習意欲の低下は深刻差を増し、危機感は強い。




2002年にゆとりを重視した学生指導要領に全部改正された。


受験した生徒は、「ゆとり教育」で中学時代を過ごしたことになり、以前より学習内容、授業時数が削減されている。


なので、「成績低下」は仕方ない。というより、これを政府が予測できていなかったとすれば、あまりにお粗末な話である。


そして、応用力が低下しているということも私は当たり前の事だと思う。


私の考えでは 「応用力」=「知識」+「考える力(センス)」 という式で表せる。


「考える力」はともかく、「ゆとり教育」は従来の教育より詰め込む知識を意図的に減らしているので、応用力低下は容易に予測できた。



私が今回、問題視するのは2つの事だ。


記事に次のような事が書かれている。


「…無回答率の高さだ。」


「生徒がどの程度真剣に取り組んだかを10段階で自己評価する努力値も最低の6.12.」


苦手な問題を投げ出しがちな傾向が見られ、「考える努力」をしなくなっている。


私はこれもゆとり教育が原因だと考えている。


「考える努力」は、「我慢、辛抱して考える」と言い換えられる。


面白いこと、興味があることについて考えるのは、私としては「考える努力」をしたとは言えない。


嫌なこと、興味のないことについて考えて、「考える努力」をしたと言える。


個人差はあるものの、一般的に学校の授業・学習は面白いものではない。


ゆとり教育によって、学習内容、授業時数が削減、そして、ゆとりの時間を興味のある事に費やすため、嫌なこと、苦手なことの免疫力の低下、つまり辛抱・我慢ができなくなった結果、「考える努力」をできなくなっているのかもしれない。



もう一つ、問題視していることがある。


記事に数学応用力の試験では上位と下位の差が縮まり、「底上げ効果」は出たが、上位層は落ち込んだ。

と書かれている。


私が理解できなかったのは、ゆとり教育において、「底上げ」が何の意味を持つのかである。


先ほども少し書いたが、ゆとりの時間は興味のあることに費やすはずだ。


個人を尊重して興味のあることに時間を費やし、それを伸ばすことができるのが、ゆとり教育の一つのメリットだと私は考えていた。


下位層、格差など関係なく、上位層が増えれば「ゆとり教育」は成功だ。


もし、政府が底上げ、もしくは、格差を縮めようと考えているのならば、苦手な人にもその教科に費やす時間を増やす、学校での学習時間を増やし、みんなで同じ時間をたくさん共有する事、つまり従来の教育方法に戻すべきだと私は考える。





最近では、また「教育」を改正する動きが見られてきた。


従来の形に戻すのか、あるいは新しい形が生まれるのか注目したい。


ゆとり教育の考え方は、私自身理解できる箇所は多かったが、子供の自主性に任せるのは、「ニンテンドーDS」以上に学習が面白いものだと認識させないとダメな気がする。