摂食障害Q&A } 治るのも幸せになるのも怖いです | maro's diary

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私の今までの人生で経験した事やこれからの事を記録として残してシェアをしたいと思います





ありがとうございます



私がよく他人との比較は毒だし

1番自分を簡単に不幸にする方法と言いますが

それはそうなんですけど

実際「他人との比較を辞める」って難しいんです



0か100かの話じゃないので

私も一切比較していないか?と問われたら

正直、比較する時もあります



この地球には私か私以外かの動物しかいないので

比較するしか自分の行動に責任や義務を感じられない

そんな事もあって当然だと思うんです



「誰かの為を思う気持ち」というのがありますよね

底力が湧いてきたり

他人のためならできることってあると思います




これを前提として

比較の対象とするものを選ぶべきと思います


比較はやめられないとしても

容姿の比較はやめた方がいいと思うんです



目にパッと映って人の印象にもなりますが

容姿で判断したり偏見を持つって差別的で

誰かを傷つけたり、自分を傷つける事に繋がる

私は摂食障害に教えてもらいました



そこから、回復の過程や人の生き方なども

自分の判断で勝手に比較するのは差別的で

自分を傷付ける行為だなって思えました

(あくまでも私の考え方です)




幸せも人によって異なるから

自分の幸せ=皆んなの幸せ

ではないと、私は思います



だから自分の幸せは堂々と感じてなんぼだし

他人の幸せに重ねて考える事は必要ないと思います





幸せの種類や選択肢を今、容姿や食に絞っていて

それ以外の幸せが

「わからない」から「こわい」になっていませんか?



でも、なってみなきゃやってみなきゃ分からない

これが事実かと思うんです

想像するのは簡単だし不幸のシナリオを書くのも簡単



でも

幸せを模索する最中に思いがけない事を学んだり

時に傷付くけど

あとからそれが幸せに繋がる経験になったりします



摂取障害も、私の中ではそんな経験の一つ



ダイエットに夢中になっただけなんだけど

自分を好きになりたくて

何かから逃れたくてやってみただけなのに

結果として得られたのは

不健康な体と当たり前ができない自分と病気でした


そんな事思ってダイエットなんかしてなかったはずです




回復期も同じです

容姿が変わったら今の幸せが消えてしまうかもしれない

自分が自分ではなくなってしまうかもしれない



でも、変わらなければ見えない景色や考え方があって

幸せのカタチも

良い意味で期待を裏切るようなものかもしれない


とにかく答えがないものだから

だからこそ

止まるより、進む方が楽な気がしてしまいます




私も容姿の事じゃなくても

結構、悩んでその場で止まってしまう事があります

前にも後ろにも押して引いたら

崩れてしまう気がして足が出ないみたいな状態



でも、その場にいたらずっと同じ状態のままで

なんの変化もなく

つまりはずっと同じ不安を背負っているんです


そっちの方が辛いなって、客観視して思います





ゆっくり考える時間はいくらでもあるから

進む理由を自分の中に作って持ってあげて

一緒に、怖いけど、幸せとか分からないけど

私達なりの生き方を歩めたらと思います