good bye my rule 08 | maro's diary

maro's diary

私の今までの人生で経験した事やこれからの事を記録として残してシェアをしたいと思います





「何でこうなんだろう?」の疑問の気持ち



それは自分の当たり前や普通の概念だったり
そこから作られるマイルールがあって
自分とは違うと感じた違和感からくる疑問だったりする



どんな人の違いも理解して受け入れられる程
自分は器用ではない
そんなに寛容的な心も持ち合わせていない


だけど
自分の事を最優先にしている余裕を作る意識をしている
その余裕こそ、相手への思いやりに繋がると信じている



人の理解できない事への考え方について
good bye my rule

自分の余裕こそ他人への思いやり











私って自分の事を理解できないタイプなんです
「少数派」であり「イレギュラー」
そんな個性の持ち主だと自覚している



自分に対して繊細で気難しい
それが他人にも影響していると気付いた



私が思っている「普通」は他人の「普通」とは違う
それは分かっているのに
なぜか、何で違うんだろう?って悩んでしまう







ここで私の対人関係理論を語らせて下さい
以下は本当に私の自由な考え方の意見です



"自分の余裕がなければ他人に対して優しくなれない"




例えば、お金が無い状態だったとする


(人によりけりを承知で読んでくださいね)


↪️他人からのご飯の誘いを断らざるを得ない
↪️お金がない自分と他人の余裕の差にモヤっとする

お誕生日のお祝いや結婚式の祝儀等も無理がある

↪️その場が楽しめない
↪️自分の最低限を削っている




この場合、見返りを求めてしまう事も多い






これは時間にも置き換えられる話


皆んなが学生の時に社会人として働いていた私

時間の価値観が異なる事は当然であって
私がネガティブになる必要は全くない

でも、ギャップみたいなものが積み重なって
すごくストレスになっていた




恋は盲目という言葉がある




そのくらい他人にフォーカスした関係性があると
↪️友人関係が疎くなる人がいる
↪️善悪の判断も他人任せになっていく人がいる


友人サイドからは「変わったね」と言われるが
(良くも悪くもなのかもしれないが)
パートナーサイドからは「良いね」と言われる



どの対人関係の相手にベストだと思われたいか?の問題
良く思われたいと思う気持ちは普通にあっていいもの


 
同僚に良く思われたいならそのウェーブに乗ればいい
上司に好かれたいならゴマすればいい

(すごい雑破な言い方していますが)




でも反面があるから、皆んなから「いいね」と言われる事
とっても難しい、ていうかあり得ない






だから結局、自分の求めているモノを得ようとすると
誰かの犠牲の上に成り立ってしまったり
逆に、大切にしたいものを犠牲にしていたりする



これは仕方ない事
誰だって一度は経験しているはず



改めて私の考える理論を言葉にすると
皮肉みたいで意地が悪いように感じるんだけど
これが私の真理だなって思ってる事





では他人への思いやりや対人関係をどうすれば
自分の心地いいものにできるのか



じゃあ、余裕って何なんだ?誰の為?って話




結局、他人任せにしても自分の幸福はやってこない
自分が自分を幸せにする事が1番簡単


自分の心を守れるのは自分だけ
自分の行動は自分に全て返ってくる



相手に良い事をしてイイ思いをする事もあるけれど
自分の犠牲の上に成り立っていたら
心に残る思いって、イイものじゃなかったりする



自分が相手の為にしてあげた事が
自分の為に本当になる場合は
最初から分かっている事だったりしませんか?



無理しているけど、まあいっか仕方ない
このマインドの優しさは自分には優しくない

無理してでも価値のある思いやりの行動は
まずそもそも「無理」とか思ってなかったりする




だから「誰かに好かれたいor良い関係を築きたい」なら
その先の自分を考えてみる


環境や立場の影響で
その人に好かれたいと思っているだけで
私自身が、相手の事が好きかどうか確認する


人として尊敬できない相手にペコペコしたくない
仕事であろうと先生であろうと親であろうと
私が人として合わないと感じて嫌な思いをするのなら
それは言葉にして伝えたり距離を置いていく




自分の余裕のために




勝手に離れていく人は離れていくし
相性が合わない人は合わないで割り切ればいい
悪い事ではない



大事な人や本当に仲の良い人などを
より大切に思える気持ちの方がよっぽど大切



嫌な人の事を考えて
心をすり減らすのは勿体無い





他人本意になっていると
見返りが思ったように返ってこなくって
フラストレーションが溜まるんだけど

そもそも、他人に期待しなければいい話

自分本意で自分に期待する




他人に期待していない人もいるかもしれないけど
わたしは結構、そう思う事が恥ずかしながらある

だからやめた




余裕ができれば、苦手な人に対しても寛容的になれた

この人も大変なんだなあ
疲れているんだろう

考え方の選択肢も増えたと思う




何より自分にも優しくなれたからその反映かな?




こういう自分の「当たり前に良い」と思ってた普通を
手放してみたら、なんか生きやすくなった

良いと思ってやってる事を疑った事もなかったから
自分の無駄にも気付かないよね




わたしの考え方はわたしにしか通用しないかもしれないけど
この考えを「悪い考え」とも思っていないし
こうやって考えられていてとても生きやすいのが事実




自分の考えを自分が受け入れていれば
それで良いんじゃないかな




誰かにとって「良い」ものを求めようとせず
他人からの評価も気にしないで
自分らしく生きられる事を保ちたい




最後に



自分勝手に生きても良いニュアンスではあるけれど
他人に明らかな攻撃性のある言動を取ったりするのは
自分勝手の範囲を超えているかなと思う


人としての道徳みたいなものは守りたい


自分が苦手や嫌いだと感じる相手にも
生活があって考えがあって思いがある


その人を否定してはいけないなと思う



だから無理して生きてしまってた自分も否定しない
今も「一切の無理をしない」事って
当たり前にできる訳がなくてそんな世界ない



0か100の考えじゃなくって
前提として、日々のメンタルケアだったり
生活の中の余裕作りが
ふとした時の他人への思いやりに繋がるし
自分の為にもなるんじゃないか?という話です




最後まで読んで頂きありがとうございました👙