hi }偏見と向き合う私の気持ち | maro's diary

maro's diary

私の今までの人生で経験した事やこれからの事を記録として残してシェアをしたいと思います












偏見というのは偏った意見であるという事

思うのも感じるのも自由です

だから、偏見を持つ誰かを否定するつもりはありません


私の中で大切にしているものと

誰かの中で大切にしているものは違いますし


私が犠牲を払うと感じる事は

誰かにとっては必要なプロセスであると感じていたり


だから私の意見も「偏見」かもしれません

ですがこの世の中には

「これが幸せ」だとか「これが美しい」だとか

決めつけたような言葉で溢れている


まるで、それが正しく全てであるかのような物言いで

SNSなどで偏見の情報を流してしまう

それを見て、偏見が伝染していくSNS社会


そして自分の生活と他人の生活に

区切りを持つ事を忘れてしまい

無意識に自分と他人を比較し始める


自分を1番簡単に惨めに感じられる方法知っていますか?

他人との比較です


誰かが決めた「美学」に当てはまらない人

誰かが決めた「容姿の美しさ」に当てはまらない人

誰かが決めた「成功者の証」に当てはまらない人


当てはまらない人が幸せを見失う偏見は悲しいんです


私には私の幸せがあります





私は様々な精神疾患や出来事を経験して

自分と深く向き合ってきたつもりです

そして、沢山の偏見に潰されかけてきました

でもそれのおかげで

今私は私らしく生きていられるんだと思います


じゃあ、皆んなも偏見に揉まれて潰されて

経験すれば幸せになれるよ

なんて、そんな事は言えません、思えません


やっぱり悲しむ人や息苦しさを感じる人が

少しでも減ってくれたら良いと思うものです


だから私は私の経験を語ったり

今の私が思う事を言葉にしてSNSに載せていきます


私も私らしくしていいのかな?

と少しでも思ってくれる人がいるなら

私の偏見だって救いになるかもしれないと思っています


ただ、120%の理解は出来ないものです

人間は皆んな違う

だからこれをお手本にする必要もないし

私は「こうしたら幸せになる」なんて言いません

そんなものがあったら

誰だって真似て幸せになれると思う


偏見ばかりのSNS

それをただ真似してしまう人がいるから

自分らしい幸せを感じていたのに

誰かの決めた「偏見」に自分を重ねて考えて


一見、幸せそうに見えたものを

自分の生活に取り入れようとしてしまう

別にいいと思いますが

そこで生まれる犠牲について考えて欲しいのです


自分の犠牲です


自分の事は自分が1番に理解しているはずです

だからこそ

他人の偏見に耳を傾けるのではなく

自分の気持ちに耳を傾ける意識だけでも持っていたら

偏見に出会った時

自分はどうしたいのかと問えるかもしれないし


すぐに分からなくっても

一旦言葉にしたり文字に起こしたり

可視化して客観視して心を見ると

後から整理できる事もあると思う


いくらでも方法があるから

自分の事は自分が守っていくしかないし

偏見に向き合う事が辛い人は逃げてもいい

それで自分が落ち着けるのなら

見えないように聞こえないようにするのもいい


だけど犠牲を払う必要はないと思うから

自分を傷つける事はしないで欲しいと願います


そして今自分が自分に対する偏見を持っている人

つまりは自分に厳しくなっているマイルール的なもの

自分にだけ思っているつもりでも

どこかで他人に重ねていたりしませんか?


私は痩せが全てだと摂食障害によって思ってしまった

だけど、その時自分に設けたマイルール

自分の中の偏見が1番私を苦しめていたし

他人に対しても同じ偏見を持ってしまっていました


それに気付いた時に

自分の事を恥ずかしいと感じたのが正直な気持ちです


あんなに容姿に対して偏見を持ってる人が憎かったのに

いつしか自分がそちら側になっていた


それは病気のせいでもあるし

痩せが全てと思わされる情報が溢れる社会のせいでもある

だけど1番は自分自身の偏見だったと思っています


病気になってしまった

あるいは

今病気で苦しんでいる人に

この言葉は必要ないかもしれませんが

回復期を経た私のただの意見です


病気は病気なので割り切っていいものですし

誰かのせいにして楽になれるならそれでいいし

自分に問題があると気付いたのなら

そこにフォーカスしていけばいいと思う


でもあなたの自分だけの偏見が

誰かの偏見を産むかもしれないという事

同じ思いをする人がいるかもしれないという事

その少しの意識で

苦しむ人が減ればいいなと思っています




いつの時代も偏見があると思います

今の偏見がなくなった時には

新しい偏見がうまれていて

何歳になろうと、悩みは消えないと思います

複雑ですが、現実は簡単に変えられないですしね


でも私がそれとどう向き合うかによっては

現実も変わったりするものなんだと

色々な経験をして知ることができました



私は私なりの生き方として

こういった意識を持っているだけで

楽になれたなと感じていて

これが少しでも参考になればいいなと思っています




数字で人の価値は測れないし

人によって幸せは違うものだし

真似っこしたところで誰かにはなれないし

他人と比較する意味とは何でしょうか


自分を犠牲にしてまで手に入れたいものを

手に入れた時に満足できるものなのか

今の自分の気持ちに耳を傾けてほしいと思います