注意:この下に受験結果を書いています。
見たくない方はこのまま閉じてください。
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5年生の夏休みに「中学受験をしたい」という息子の一言から始まった我が家の中学受験。
両親高卒の低学歴一家である我が家にとって、それはまさに青天の霹靂でした。
息子の情熱に押され、初めて受けさせた入塾テストは不合格。
いきなり中学受験の洗礼を浴びた我が家。
辛うじて拾って頂いた日能研で受けた5年生9月の公開模試の偏差値は「35」でした。
両親のがっかりした顔を見て大泣きした我が子。
そこからも様々な紆余曲折の1年半、そして迎えた運命の受験結果が以下。
※()内の偏差値は日能研R4の数値です
1月
①安全校(50前半)不合格
➁チャレンジ校(60前半)S特待合格
③チャレンジ校(60後半)不合格(合格まであと1点)
④上記③のリベンジ(50後半)合格
⑤上記③の特待リベンジ(60中盤)スライド合格(特待資格なし)
⑥千葉チャレンジ(60後半)キャンセル
⑦抑え校(60前半)キャンセル
2月
⑧2月1日校(60後半)合格
⑨2月2日校(60中盤)合格
⑩2月3日校(60後半)合格
こうやって並べてみても、1月が本当にしんどかったです。
1月で一番印象に残っているのは「学校と言う意味で唯一合格を頂けなかった①の安全校」のこと。
これで我が家というか私が完全にパニックになってしまいました。
想定外の出来事でそれまでの偏差値とかすべての指標が完全に崩れた瞬間でした。
そんな状態でも毎週末「NNそっくり模試5本勝負」で『D・E判定』が出て、親の私も精神的に追い詰められていきました。
当然ながら、必死で頑張っているのに結果が伴わず最下位組の合同クラスでNN解説授業を受け続けたA太の方が私の何倍も苦しかったと思います。
そんな散々な1月を乗り越えて迎えた2月。
結果だけみれば「全勝」ですが、本人的にはかなり追い込まれてしまい極限状態におかれていたと思います。
全ての結果が出たあとにA太に感想を聞いたのですが、2月の受験では緊張し過ぎて頭がおかしくなりそうだったのと同時に、いざテストが始まると時間が「メチャクチャゆっくり流れていた」そうです。
特に2月1日校の算数では大問4が終わった段階でもまだ25分も時間が余っていたので本人も驚いたと言っていました。(おかげで算数はほぼ満点という結果に。)
2日校、3日校も同様で試験開始までは極度の緊張感で手が震えているのに、いざ始まるとすごく集中していて時間がゆっくり流れているように感じたそうで、算数はどちらも高得点というおかしな状態に。
それがどういう感覚なのか、無学で何も努力をしてこなかった私にはわかりません。
ですが、その状態が続くのは子供にとっては良くない事のようにも感じました。
各学校から合格を頂けたことは大変ありがたいことですし感謝もしています。
ただ、その嬉しいという感情と同じくらい、12歳の子の親という立場で見れば合格を勝ち取るためにここまで子供を追い込む中学受験をさせたことが本当に正しい選択だったのか?という反省もあり、正直複雑な心境です。
多くのご家庭では親のサポートが行き届いていて我が家のような状態にならずに済んでいるのだとは思いますが、少なくとも我が家は上手くいきませんでした。
それは親である私の力量不足が招いたものであり、全て私の責任ではあるのですが・・・。
まだ受験が終わったばかりで少し混乱しているのかも知れません。
この話は後日、あらためて整理してみたいと思っています。
今は素直に頑張ったA太を思いっきり褒めてやりたいと思います。
よくやったぞA太!!