2002年、この年の誕生日プレゼントは未だに忘れもしない。新日本プロレス2002年6月5日のチケット。ベストオブスーパージュニアの決勝戦を見るため、大阪府立体育館に初めて足を運びました。



ビデオとワールドプロレスリングでしか見たことがない新日本プロレス。試合前のサイン会ではブラックタイガーに握手をしてもらうために行くと腕相撲をしてもらって「しばらく手洗ったらもったいな。」と親父が言っていたのを思い出す。



この大会が自分がプロレスを見た中でも最も刺激的で、忘れらない大会になるとはこのときは思わなかった。




2002年6月5日の新日本プロレス 大阪府立体育館大会。この日、IWGPヘビー級次期挑戦者決定戦が組まれていた安田忠夫選手が遅刻。セミファイナルで行われる予定だったIWGPタッグ選手権 蝶野正洋&天山広吉vs中西学&西村修が先に行われることに。


この試合が結果としては60分時間切れ引き分けでしたが、波乱万丈な試合で今でも鮮明に覚えています。


試合中盤、ジャーマンスープレックスを決めた中西選手が突然右脚を抑えながら立てなくなります。お父さんが隣で




「肉離れしたな。」
と言いました。



僕はこれは肉離れしたんやな。
と思いました。




そしてドクターに連れられ控え室に戻ってしまいました。一人残った西村選手はどうするんや!と思っていると。。。



突如としてリングシューズを脱ぎ始めたのです!!



そして何故か裸足で孤軍奮闘、中西選手が戻ってきてくれることを信じながら闘う西村選手。


終盤、右足にテーピングを巻いた中西選手が足を引きずりながら大暴れしてついに中西&西村組に勝機が訪れます。


中西選手の膝が天山選手の顔をとらえて、大量の鼻血が。たしか骨折だったと思います。


そんな中、60分を闘い抜いた4選手を見てプロレスラーはやっぱりすごくて強くて、プロレスこそが最強だ。と、7歳になったばかりの竹下少年は思いました。



その日のことが今でも心に残っていて、少なからずプロレスラー竹下幸之介にも影響していて。



帰り際にたまたま見た、スーツ姿の藤波選手もでかくてお父さんと王将で餃子を食べながら話しました。とにかくプロレスラーはすごい。



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竹下少年8歳。お腹を壊しやすい体質で、毎日パンツイン!&腹巻常備。そしてビッグボスMA-G-MAのラストライドポーズがお気に入り。