元々DDT公式スマホサイトにて連載されていてあまりの更新の遅さに打ち切りとなった『西成えれじい』ですが、この度こちらのブログで復活を願う2、3人の声が届きまして再掲載しつつプロレスラーになるまでの半生を書けたらいいなと思います。温かく見守ってください。

 

 

先に言っときますがかなり不定期です。プロレス界の冨樫とでも呼んでください。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近は酒を飲むも飲まれない日々で、

酒の席での戯言と。許してやれよと言われても。あいつの噛み付く泣き声は。どこか全てが負けていた。

 

 

1995年5月29日

 

竹下幸之介 誕生。

 

3200gで産まれました。大きさは中の上といったところでしょうか。大阪の市民病院で。母は私を身ごもって20kg近く体重が増えたそうで、安産になるようにたくさん肥えてくれたのでしょう。しかし、私がこの世に誕生したあとも母の体重を衰えることをしらず今でも4kg絞って84kg。なぜかいつも私のせいにされます。

そりゃね~よ~ かあちゃん!(ジャイアン風に)

 

 

 

 

生まれてまもなく離乳食は父の焼鳥屋で食べるつくね。これが一番私の成長を促す要因になったと私は考えていて、某有名柔道家は家が寿司屋で離乳食で貝汁を必ず飲んでいてそれが世界に通用するパワーを身に付ける身体のポテンシャルになったと最近聞きました。小さいお子様がいる方は、薬局の薄味の離乳食ばかりではなく、動物性のタンパク質も摂らせてあげてください。

 

 

 

 

私はとにかくおとなしい子で夜泣きをした記憶もないと母は語ります。

とにかく睡眠をとっていたみたいで1日16時間は寝ていたみたいで、寝る子は育つとよくいいますが、育つ子は寝るが正しいのだと思っていて、身長が伸びる人間は元々遺伝で決まっていて成長ホルモンが活発的に働くので常に眠い状態にあるのではないかと思います。

だから私はいつも眠く、高校の180cmある女の子も同じ悩みを語ってたのでこの仮説は拡散希望です。

 

 

 

 

食べては寝て、食べたは寝て、ゲームしては寝て。

1歳の時にはプレイステーションのコントローラーを握っている写真が残っているから驚きです。父は私を自由な子に育ててくれました。

 

 

 

そして私が2歳になり、プロレスと運命的な初対面をします。









人生で唯一、子供らしくて可愛らしかった頃の私。この頃の一人称はプーちゃん。