11歳の頃に父を肝臓癌で亡くしてから母子家庭。
母と娘、二人三脚で生きてきた。
私が34歳で結婚するまで。

だから、母とのしがらみも半端無い。

何も知らない子供の頃は、本当に純粋に、「母は正しい」と思っていた。
もちろん、反抗もしたけれど。
メンター=母だった。
私の基準。指針。

大人になって、いろいろ心理学を学んで、
自分の内面と向き合うようになって、
いろいろ見えてきたことがある。
母が全てではない。母の考えは、かなり偏っていた。
そして。


母は、私にシャドーを見せてくれる存在。


心理学用語で、「投影」とか、「シャドー」というものがある。
自分が世の中に見ているものは、自分の内面・マインドが人や社会に投射されたもの。
「シャドー」は、投影の中でもネガティブなものをさす。

先週半ば、母から一通の手紙が来ていた。
(母はよく、私に手紙を送ってくる。)
今回のは、母が友人に送った手紙のコピー。
その内容を読んで、どこが間違っているのか指摘してほしい、というのだ。
どうも、一生懸命書いて送った手紙に対して反応が無いので、不満に思っているらしい。


だいたいそういう時、母の言葉を真に受けて指摘だけすると、母の機嫌を損ねる。

母は、確信が欲しいのだ。
「間違っていない。私は正しいことをしている」と。

その、「自分は正しい。間違っているのは相手。」という態度を見ると、私は瞬時にフックされる。自分が如何に「上から目線」で相手に押し付けているかを全く反省しない母の姿を見るのは、辛い。

今回の手紙を読んでも、いつもの「上から目線」だったので、
  「そりゃ、返事もしたくなくなるわな・・・」
と、その友人に同情した。

しかし、母に返事しない訳にはいかない。
これを電話で話したら、確実に3分以内に喧嘩になるだろう。
想像するだけで、ほんとイライラする。

そんなこんなで今日の昼、母のところに行ってきた。
対面で話さなきゃ、だめだ。

・・・つって、案の定、喧嘩になったわけだけど。

でもこれは、母の問題として切り離したらそれで終わり。
このことで、私の中にあるシャドーを母が見せてくれていたことにだんだん気づく。

私も、母と同じだった。

私の中にある、「相手を変えたい」「私は正しい」「なぜ、私を受け入れないのか」というネガティブな部分が、ものすごく炙り出されたことに気づく。

そして、母の淋しさと。

「何かしたい」「何か、人の役に立ちたい」と思いながらも空回り。
その、やるせない気持ち。


ああ、この人は私だ。


喧嘩している時には見えなかったものが、
時間が経つとともにだんだん、浮かび上がってきた。