● 「なぜ今の若者は、右傾化するのか?」という年配者の疑問


先日、仕事関係の年配の方(50代半ば~後半ぐらい)と話しておりました。高学歴の方です。


だいたい、この年代の高学歴の方々とお話しするとよく話題になることなのですが、そのときも話題になりました。「なぜ今の若者は、右傾化・保守化するのか?」という話題です。


その方をはじめとして、よく挙げられる説明は、以下のようなものです。


「90年代半ば以降は、経済成長がなく慢性的に不況である。若者は、安定した就職が難しく、将来の展望もなかなか抱けない。そうした鬱積や閉塞感のため、アイデンティティの危機に陥っている。アイデンティティの危機を保障するのが、国家であり、民族)(ネイション)である。つまり、もろい、不確かな自分のアイデンティティを保障するものとして、日本というナショナル・アイデンティティに同一化して、右傾化するのだ」。


そんな分析です。


まあ、要するに、若者の右傾化・保守化を、社会不安からくる一種の病理現象として理解するタイプの分析ですね。


今回の記事では、この手の分析を検討して、批判してみたいと思います。


(私自身、そうした「保守化・右傾化した」若い世代の一人ですし、「病理だ!」とか言われると、いやですので。)


● 祭り上げられる論者――たとえば赤木智弘氏――


団塊ぐらいの左派的パーソナリティをもった方々のこの手の分析を補強する若手の論者として一部の人気を博しているのが、赤木智弘氏とか雨宮処凛氏とかでしょうね。


たとえば、赤木智弘氏のデビュー作の「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」という論考は、上記のような「社会不安からくる一種の病理現象としての若者の右傾化」という分析を、補強するものだと受け取ることができます。


赤木氏のこの論考は、朝日新聞社の発行していた左派系の月刊誌『論座』の2007年1月号に掲載され、一部で(主に左派系文化人の間で)話題を呼びました。


ごく大雑把にまとめると、この論考の趣旨は以下のようになります。


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若者は、安定した仕事に就き難く不安である。(赤木氏自身も31歳でフリーター生活を余儀なくされていた)。経済成長の時代にキャリアを築けた現在の中高年の人々は、恵まれている。それに、ずるい。現在の若い世代に、不況のつけを押しつけて、自分たちだけが安定した経済成長の果実を享受し続けてきている。


バブル崩壊後に社会に出た赤木氏のような若い世代の多くは、以前の世代が享受してきたような安定した「普通の」生活を望むのもむずかしい。


こういう不安定さ、不条理さに、若者の多くは不満を持っている。できれば、一度、社会をガラガラポンというか、こういう不平等な現状を最初からやり直したいと思っている。


しかし、現代の日本では無理である。戦争でも起こらない限り無理である。


戦後民主主義の象徴であった丸山真男氏(元・東大教授)は、戦争中、徴兵され、学歴のない古参兵に軍隊でひっぱたかれたらしい。戦争になれば、そういう具合に、既存のがっちりとした既得権益の体制が一掃され、ある意味、流動化・平等化されるはずだ。


だから、31歳のフリーターとしては、現在の日本においても「戦争」が生じるのを願う。同じように思っている若者は、多いはずだ。現在の若者の多くが右傾化し、保守化しているのも、同様の心理があるのだ。

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以上のような趣旨の文章です。これが、中高年のリベラルな自称・インテリ層には、大いにウケました。


● 戦後左派の癒しとしての「若者の右傾化=社会病理」という図式


私は、赤木氏の分析を全面否定はしません。確かに、バブル以降に社会にでた若者(私もその世代の一人です)は、就職やキャリア形成の面で、前の世代よりも、不安定です。そこに不満を感じてもいるとも思います。


赤木氏の論考は、そうした若い世代が感じている不満を、戦後民主主義の象徴たる「丸山真男」をひっぱたきたいといううまい比喩をつかって言い表し、世間の人々に、そうした若者の不満を認知させたという点では、評価できるでしょう。


ですが、リベラル派の人々が、赤木氏の論考を前面に出し、少々その重要性を誇張することによって、現在の若者世代のいわゆる「右傾化・保守化」は、「社会不安に由来する一種の病理現象だ」と論じてしまう傾向は、誤りだと思います。


「誤り」というよりも、中高年のリベラル派インテリ層の「癒し」といったほうがいいかもしれません。


中高年のリベラル派の人々にとっては、上記の赤木氏の論考は、安心する「癒し」だといえます。つまり、リベラル派の人々は、次のように思うことによって、安心できるのです。


「自分たちの戦後民主主義的なリベラルなスタンスは間違っていない。正しいものだ。若者の右傾化・保守化は、社会不安からくる一種の病理現象なのだ。だから、戦前の日本を評価したり、中韓などの近隣諸国の悪口言ったりするのだ。若者たちは、病んでいるため、戦前の日本に一体化し、保守的な言説を振りまくことによって、もろい自我の安定性を得ようとしているだけだ」。


赤木氏の論考は、それで、朝日新聞社発行の『論座』や、岩波書店発行の『世界』などの左派系月刊誌の読者(中高年リベラル派)に、おおウケしたわけです。リベラル派の「癒し」として機能したといえるでしょう。


● 東アジアの国際情勢の変化と、従来のマスコミの左翼偏向の是正こそ真の原因


私は、若い世代のいわゆる「右傾化・保守化」の以上のようなリベラル派の分析は、誤りだと、当然ながら思います。


「雇用の不安定化などの社会的不安定感からくる一種の病理現象」というリベラル派の分析に当てはまるのは、実際のところ、「右傾化・保守化」した若者のうちのごくごく一部でしょう。いたとしても、せいぜい5%ぐらいじゃないでしょうか。


では、いわゆる若者の「右傾化・保守化」の真の原因とは、何でしょうか。


この拙いブログの文章をご覧下さっているような、情報をネットで集めるのに慣れている方々には自明のことでしょうが、あらためて言わせていただくと明らかに以下の二つの理由によると私は思います。


① 近年の東アジアの国際情勢の客観的変化のため、もっと国家意識をもつ必要があるから


② 日本の既存のマスコミ(新聞やテレビ)の左翼偏向・特亜偏向の是正が必要だから


● 冷戦終結後の東アジアの国際情勢の変化


まず①についてですが、冷戦終結後、徐々に明らかになってきていますが、米国は、日本の安全を守るために、冷戦期ほど、国益を有していません。


米軍の兵士が、日本の安全保障のために血を流すことはあまり期待できなくなりつつあるように思います。


また他方で、中国や北朝鮮は、日本にとっての安全保障上の脅威であることがますます明らかになりつつあります。


特に、中国は、このブログでも以前指摘しましたが、西太平洋に対する野心丸出しですし、軍備もここ4年ほどで倍増させてきています。


韓国も、80年代までとは違い、反日国家として、自己のナショナル・アイデンティティを作り上げてきているように思われます。


結局、現在の日本を取り巻く東アジア情勢は、今の中高年層が暮らしてきたこれまでの戦後60数年間のような安定は望めない事態を迎えつつあります。


まさに、日清戦争以前と同じぐらい、日本は難しい立場に置かれつつあるように思われます。


こういう事態を迎えつつあるわけですから、今後の日本を担う若い世代が、敏感に国際情勢の変化をなかば無意識にでも察知し、日本人としての国民意識を再活性化してきているのは、当然でしょう。


病理どころか、まったく健全で必要な反応ではないかと私は思います。


● 既存のマスコミ(新聞やテレビ)の左翼偏向・特亜偏向の是正の必要性


上記の②の原因も、ネットで情報を集めるのに長けている人々にとっては、自明中の自明でしょう。


多くのマスコミは、90年代以前は、ソ連、中国、北朝鮮などの共産主義圏万歳の報道を繰り返し、その後は、中国、韓国、北朝鮮などのいわゆる特亜諸国のマンセー報道に終始しています。


「日本のナショナリズムは全面的に悪だが、中・韓のナショナリズムは大いに理解すべき」とか、「日本の軍備増強は危険!。中国の軍備増強を脅威と受け取るのは右翼!」とか、日本のマスコミは、公平さを欠いたムチャクチャな報道を日夜繰り返しています。


歴史認識でも、日本のインテリは、なぜか、言論の自由がない中韓の全体主義的国定教科書の歴史認識のほうに理解を示し、日本の一私企業が作った歴史教科書のほうに軍靴の足音を聞いてしまうような、不公平かつ滑稽な状態が続いています。


若者の「右傾化・保守化」とは、こういう日本の多くの既存のマスコミの偏向や不公平さに対して、至極まっとうな反応としての是正要求が、若い世代から出てきているだけでしょう。若い世代の意識変化は、ネットで情報を集め、マスコミの意見のみに左右されなくなった結果です。


● 若者の「保守化・右傾化」の大部分は、当然かつ健全な反応


つまり、中高年のリベラル派の人々が、社会不安からくる病理現象として、若者の「保守化・右傾化」をとらえるのは、誤りでしょう。


もっと、ネットなどで情報を集める力をつけ、素直に国際情勢やマスコミの報道姿勢をみれば、赤木氏などの議論を祭り上げ、ややこしい議論を展開せずとも、若者の「保守化・右傾化」の大部分は、当然かつ健全だと理解できるのではないかと思います。


現在から近い将来にかけての東アジア情勢を鑑みれば、「保守化・右傾化」は危険どころが、日本の安全保障に求められるものだといえるのではないでしょうか。


また、マスコミのこれまでの滑稽なほどの偏向報道を理解すれば、若者の「保守化・右傾化」の反応こそ、公平さを求める気持ちから出てきていると考えられると思います。


● 中高年のリベラル派よ、「新聞・テレビを捨てよ、ネットデビューしよう」


若者の「保守化・右傾化」を病理現象として矮小化して理解してしまい、または「ネトウヨ」とか「プチナショナリズム」などというレッテル付けをしてしまうと、中高年リベラル派にとっての一時の「癒し」にはなるかもしれませんが、その間に、日本は取り返しのつかない事態に陥ってしまう恐れがあります。


私見では、国家意識のない中高年リベラル派が率先して民主党政権を作りだし支持している現状こそが、彼らを含む日本国民にとって、危険きわまりない状態を生み出しています。


中高年リベラル派こそ、若者の正常かつ必要な意識の変化を病理扱いし、みずからの慣れ親しんだ戦後の枠組みに癒しを求めたり、安住したりせず、視野を広げる必要があるのではないでしょうか。


彼らこそ、アカヒ新聞や毎日ヘンタイ新聞を読んだり、系列のパチンコ・サラ金テレビ局の作った番組を観たりするだけで満足せず、ネットなどを用いて自分から情報を集め、比較検討する習慣を身につける必要があると思います。


中高年リベラル派の人々の知的アイドルだった寺山修司氏は、以前、『書を捨てよ、街に出よう』という本を出版し、この書名は、一種の流行語になったそうです。


僭越ながら、それをもじらせてもらいますと、締めの言葉として、以下が適当かなあと思いました。


中高年のリベラル派よ、「新聞・テレビを捨てよ、ネットデビューしよう」


(オソマツでした。長い、拙い文章に付き合ってくださって、ありがとうございました。m(u_u)m)


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