小沢氏の発言は、相変わらず不見識きわまりない。

無知である。


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小沢幹事長、習中国副主席特例会見で「国事行為」論は撤回
「産経ニュース」 2009年12月21日 15:32


民主党の小沢一郎幹事長は21日午後の定例記者会見で、天皇陛下と習近平中国国家副主席との特例会見を「国事行為」と論じていた点について、「憲法で規定している国事行為にはそのものはありません」と述べて撤回した。


そのうえで小沢氏は「憲法の理念と考え方は、天皇陛下の行動は内閣の助言と承認によって、行われなければならない」と述べ、外交要人とのご会見も、内閣の助言と承認に沿って行われるべきとの考えを示した。


、「天皇陛下にお伺いすれば、(特例会見を)喜んでやってくださるものと私は思っております」と述べた。

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● 「国民統合の象徴」――日本の社会・政治における皇室の位置づけ


小沢氏は、日本の社会、日本の政治における皇室の位置づけを少しも理解していない。


不見識極まりない。


皇室には、さまざまな意味・重要性がある。

しかし、ここでは、そのうちの一つのみ、つまり「国民統合の象徴」という側面にのみ焦点をあてて、話をすすめたい。


皇室は古来、そして現在も日本における「国民統合の象徴」である。(別段、戦後の憲法によって初めてそのように規定されたわけではない。伝統的に国民統合の象徴の機能を果たしてきた。)


皇室は、国民統合の象徴であるゆえ、国民全員を結びつけるような絆の機能を果たさなければなならない。国民の間の見解や立場、社会階層、出身地、世代などのさまざまな相違にもかかわらず、皇室は、国民全員の尊敬と愛着の対象でなければならない。


国民全員からの敬慕を等しく集めるためには、皇室を、国民の判断や見解が分かれるような問題に関与させるようなことがあってはならない。


国民の判断や見解が分かれるような問題において、皇室がある特定の立場に関与してしまえば、その立場に賛同できぬ国民は、心情的に、皇室に敬慕の念を抱けなくなってしまう恐れがあるからである。


「政治」というのは、国民の間で、不可避的に判断や見解の相違が生じるものである。それゆえ、皇室は、政治からなるべく超越した立場を保っていただく必要がある。


皇室に政治の場にお出ましいただくよう要請せざるえない場合であっても、ときの為政者は、できる限り国民の間にあるすべての立場に対して公平さを保つかたちとなるよう十分に配慮する必要がある。


● 先日の「特例会見問題」について


当然ながら、日本の外交政策のあり方に関しては、国民の間にさまざまな意見の対立がある。たとえば、米国や中国とどのように付き合っていくべきかは、常に日本国民の間の論争のマトである。


外交の場に皇室にお出まし願う際は、公平さを確保するために、明確なルールに沿うことが求められる。


現在では、そのためにいわゆる「一か月ルール」というものがある。「外交」という国民の間で見解の相違が生じやすい問題に対して、皇室にお出ましを願う場合、皇室の公平さを確保し、国民全員の敬慕の対象としての地位を保つために、そうしたルールが必須なのである。


現在の中国との関わり方という問題も、多くの他の外交問題と同様、国民の間で意見が分かれる問題である。中国と特段に親しくすべきか否かという問題は、国民の間で多くの見解の相違がある。


それゆえ、先日のように、天皇陛下と中国の政治家との会見の機会を設ける場合は、「一か月ルール」の厳密な適用が求められる。


小沢氏をはじめとする民主党政権は、そのルールを、いとも簡単に、恣意的に破った。


先日の天皇陛下の「特例会見問題」は、民主党政権による皇室の政治的利用にほかならない。許されざることである。



● 小沢氏の今回の発言


今回の小沢氏の発言は、あらためて、小沢氏の不見識・無知を暴露するものである。


小沢氏が述べるように、


「憲法の理念と考え方は、天皇陛下の行動は内閣の助言と承認によって、行われなければならない」


とすれば、国民の間で見解が様々に分かれ、対立が生じざるをえない「政治」の渦中に、皇室が引き出されてしまうことになる。


そうなれば、時の政権の「助言と承認」、つまり時の政権の判断によるものだと理解していたとしても、政権の立場をよしとしない人々は、皇室に対しても、畏れ多いことだが、敬慕の念を抱けなくなってしまう可能性がある。


そうなれば皇室は、国民統合の象徴ではなくなってしまうことが懸念される。ひいては国民統合が揺らぐ恐れがある。必ず避けなければならない事態である。


小沢氏の理解、つまり皇室をときの内閣の判断によって、政治の場に引き出すことができるという理解は、そのような事柄をまったく考慮しない、浅薄極まりないものである。


● 小沢氏のような歪んだ政治家をこれ以上生み出さないために


小沢氏は、言うまでもなく、60歳を超えた「いい歳をした大人」のはずである。また、日本の政治において、指導的立場にあるとされる人物である。


であるのに、なぜ、日本人の最低限の常識であるはずの皇室の基本的な位置づけについて、無知なのか。


また、皇室に対して、敬慕や畏怖の念が抱けぬのか。


もちろん、小沢氏の個人的資質にも大いに問題があるであろう。

小沢氏は、即刻、政治の場から退場すべきである。


しかし、ことは小沢氏の処遇の問題だけにとどまらない。やはり戦後教育の問題にも目を向けるべきであろう。


戦後の学校教育では、皇室の歴史、大切さ、日本の社会における位置づけなどについて、ほとんとどいっていいほど、教えてこなかった。


せいぜい、憲法の条文との関連で、「国民統合の象徴」という言葉を、子どもたちに、暗記させたぐらいであり、皇室の意味や重要性を真剣に考えさせることはなかった。


小沢氏らの世代は、戦後の学校教育をどっぷりと受けた第一世代である。おそらく、皇室の意味・重要性について、十分に学んでこなかったのであろう。


小沢氏をはじめとする現在の民主党政権の中心にいる政治家は、日本人の大人として奇形である。大事な知識、見識が欠けている。また日本人としての感性、情緒にも欠けている。


小沢氏のような「子どもじみた年寄り」を、これ以上生み出さぬために、教育の正常化が強く求められると感じる。


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