鳩山政権の日米同盟軽視には、はなはだしいものがありますね。


そろそろ、アメリカ側も切れかかっているようです。


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普天間、首相の姿勢批判=アーミテージ氏

2009/12/07-23:12)「時事通信」のネットから〔リンクはこちら


自民党の谷垣禎一総裁は7日、都内でアーミテージ元米国務副長官らと会談した。アーミテージ氏は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について「なぜ日本政府が今、結論を出さないのか分からない。鳩山由紀夫首相は日本の安全保障をどう考えているのか」と述べ、結論を先送りしている首相の姿勢を批判した。


これに対し、谷垣氏は「鳩山政権は年内に(普天間問題を)決着させるべきだ」と応じた。

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● 言霊信仰と「念仏平和主義」


このところの普天間飛行場の移設問題の報道をみて、「念仏平和主義」という言葉を思い出します。


日本人は、言霊信仰の国で、ある言葉を口に出して唱えていれば、それが実現するという感覚が今でもあると思います。(私自身も、この感覚、共有しているようにときどき感じます。縁起でもない言葉は口に出したくないですし。)


戦後の平和主義にも、これは当てはまるように思います。


左派の言動を見ていると、言霊信仰が生きているのだなあと実感します。

「平和、平和」、「憲法第9条、9条、9条」、「戦争放棄、戦争放棄」、「共生、共生」と唱えていたら、それが実現すると考えているようです。


一般に、言霊信仰とその背後にある日本人の感覚は、私は好きですし、大切にしたいと私は思います。


ですが、ことが、安全保障とか、外交とかの問題に関わるときは、もっと冷厳に、現実主義的になるべきですよね。


● 「平和」、「憲法9条」という戦後の念仏


よく左派の人々は、「戦後の平和は、憲法9条があったおかげだ」というまさに念仏平和主義的言辞を吐きます。現在に生きる言霊信仰として、民俗学的・文化論的には、大変興味ぶかいところですが、国際政治の現実を考えるとき、当たり前ですが、明らかに誤りでしょう。


戦後の平和は、日米安保条約と在日米軍の存在、それに自衛隊の力によって守られてきたのは、明白です。


戦後の日本の政治家や学校の教師は、言霊信仰の継承者であるからか、「有事」、「日本に対する外国の悪意や野心」などの存在を口にすると、「恐ろしや~」、「縁起がわるい」と考えてしまうのでしょう。有事の可能性や近隣諸国の悪意・野心を冷静に見つめてきてません。


左派が、野党のときは、それでよかったのですけど、恐ろしいことに現在は彼らが与党です。


「憲法9条があるから平和が守れた」というような国内のみで通じる念仏平和主義的なマヤカシは、いい加減に捨て去って、日米同盟のおかげで戦後の平和が守られてきたという現実を見つめてほしいものです。


● 武士の現実主義


おそらく、念仏を唱え、一心に何かを願えば実現するという発想は、日本社会の中でも、庶民階層の考え方だったのでしょう。

武士階級は、より現実主義的だったでしょう。


鎌倉時代に、いわゆる「念仏仏教」が広まったのは庶民層で、武士はそれよりも自力救済的な禅の思想のほうに惹かれたのでしょうし。


しばしば指摘されるのは、明治時代の日本が、欧米列強の脅威のなかで独立を維持し、生き抜いてこられたのは、戦国時代・江戸時代に綿々と培われてきた現実主義的な武士のエートスがあったからだということです。


戦士階級である武士が力をもっていた日本は、文人中心の中国・朝鮮と異なり、国際政治を現実主義的に見つめ、国の針路を決めることができたのでしょう。それが、独立の維持につながったのだとよく言われます。


日本の文化・伝統における非常に大きな部分を占めているはずの尚武の精神を、戦後の日本は、一切合財、捨て去ってしまったように思います。それと同時に、現実を冷厳に見つめその中で最善の努力奮闘を行う武士の現実主義も、失ってしまったのでしょうか。


● もっと現実を


「武士」の「ぶ」の字も感じられない鳩山さんに、武士の現実主義を取り戻せといっても空しい感じがするのですが、民主政権は、もっと現実を見つめてほしいものです。

現在の日本の選択肢としては、日米同盟を堅持しつつ、徐々に自主防衛の力を蓄えていくという方策をとるしかないでしょう。


日米同盟の効力を認めず、それを軽視する非現実主義は、大いに危険でしょう。近い将来の日本人の生命、財産、生活を大いに脅かします。(こう書きながら「縁起でもないなあ~」と思うのは、私が庶民で言霊信仰を無意識に共有しているからなんでしょうね...)。


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