細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

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行った史跡や読んだ小説をご紹介


令和7年11月3日に京都に遊びに来た母と車で行きました。叔母が岐阜に住んでいるので会いに行くというのも目的でした。私の親族はほとんどが九州に住んでいるので帰省したら何人か会うのですが、この叔母だけは私の結婚式以降中々会えていなかったので良かったです。叔母夫婦が農業を営んでいるのでお米をいただきました。米が高騰しているので大変ありがたかったです。

さて岐阜城に着いたのですが、麓の駐車場は満車で中々入れず混雑していました。あとで知りましたがもうすぐ耐震工事をするので閉鎖するようで、そういったことも原因かもしれませんね。

麓から見える岐阜城


若き日の織田信長像


御手洗池

慶長5年関ヶ原合戦の時、岐阜城主織田信秀は石田三成に味方し、福島正則、池田輝政らに攻められ落城しました。そのおりに大勢の奥女中らがこの池に投身自殺したと伝わります。


織田軍の旗が掲げてあります。


三重塔

大正天皇御大典記念事業として大正6年にかつての長良橋の材木で建築された登録有形文化財です。


麓の織田信長公居館跡


麓の織田信長公居館跡


麓の織田信長公居館跡


麓の織田信長公居館跡


登山道からも行けるようですが今回はロープウェイを使いました。ここも混んでおり30分ほど待ちました。その間に売店でお土産を物色しました。御城印や御城印帳も売ってます。

ロープウェイを降りてからも天守までは少し登る必要があります。

堀切(切り通し)


ニノ門周辺の石垣

1539年頃の斎藤道三から始まる後斎藤期の石垣と1567年の信長入城後に築かれた石垣が見つかっています。


ニノ門


復元天守

信長はこの地を井口(いのくち)から岐阜と改めました。中国の故事「周の文王が岐山から起こり、天下を定める」に倣ったもの。孔子の生誕地「曲阜」から、太平と学問の地になるよう願いを込めて。と言われている。


岐阜城はかつて稲葉山城と称していました。金華山頂にはじめて砦を築いたのは、鎌倉幕府の執事二階堂山城守行政と伝えられています。戦国時代には、斎藤道三の居城でもあったところです。特に岐阜城の名を天下に示したのは、永禄十年(1567)、不世出の英傑織田信長がこの城を攻略し、この地方一帯を平定し天下統一の本拠地としてからでした。(この時から天下布武の朱印を使うようになった)慶長六年岐阜城は廃城となり天守閣、櫓などは加納城に移されました。現在の城は昭和三十一年に鉄筋コンクリート造りで復元されたものです。平成二十三年金華山一帯が岐阜城跡として国の史跡に指定されました。


天守の石垣


天守閣は資料館となっています。ここで日本100名城スタンプを押せます。

織田信長像

信長は天文三年(1534)尾張の織田信秀の次男として生まれ、幼名を吉法師、元服して上総介信長と名乗りました。信長は斎藤道三の娘帰蝶(濃姫)を娶り同盟しました。その後、桶狭間の戦いで今川義元を破りました。斎藤龍興を破り稲葉山城を手に入れました。岐阜城下町には「楽市楽座」を設けました。当時の岐阜の町の様子をポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは「バビロンの賑わいのようであった」と述べています。天正四年岐阜城を長男信忠にゆずり、自らは安土城へ移りました。天正十年本能寺の変で倒れました。

信長公鎧


地球儀と眼鏡


遠眼鏡


京都南蛮礼拝堂の織田信長像


信長公南蛮具足


天守最上階に描かれた麒麟


天守から見る岐阜市街地や長良川


本丸井戸


ロープウェイから見える景色


お土産に日本酒、職場へクッキー、せんべえ、妻へほうじ茶や息子たちに文房具を購入しました。


3冊目の御城印帳をここで購入しました。


御城印


ロープウェイ乗り場の売店だけでなく、岐阜城楽市という施設があり食事ができます。ロープウェイ山頂にも展望レストランもあります。


前からいつか行きたいと思っていたのでやっと来れて良かったです。岐阜県は京都からそれほど遠いと感じなかったので他にも多くの城があるので今年また訪れたいと思います。


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