細川竜太郎(旧くろかん)のブログ

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行った史跡や読んだ小説をご紹介


ゴールデンウィークに行った歴史史跡は3つほど上げてきましたが、まだ残りのものがあるので最後に上げたいと思います。


福岡市西区生の松原(いきのまつばら)にある元寇防塁を見に行きました。


というのも現在連載されてる漫画の「アンゴルモア元寇合戦記〜博多編〜」を見たり、プレーステーション4の「ゴーストオブツシマ」をしたりしているので行ってみようと思いました。


就職するまで福岡に住んでいながら全く行ったことがなく、初めて行きました。



防塁

1274年に元は900艘の軍船と2万8千人の軍兵で博多湾に攻め込み、その西部に上陸し、九州の御家人たちと激しく戦いました。(文永の役)

その後鎌倉幕府は1276年から約半年かけて九州各国の御家人に命じて石築地を築かせ、警護させました。

1281年元は再び日本を攻めましたが、この元寇防塁と武士の元船への攻撃に阻まれ博多の地に上陸できませんでした。(弘安の役)

1931年に国の史跡に指定されて保存されてます。

防塁


2000年に石材の劣化や一部崩れが見られるようになったため、修理を行うとともに中央部約50mを当時の高さに復元しました。


生の松原地区の防塁は肥後国が担当して建造し、警備しました。当時の石築地と弘安の役の警備の状況を示すのが蒙古襲来絵詞です。防塁の前を従者を従え、馬で東へ進む竹崎季長を描いてます。防塁の上には菊池武房をはじめとした肥後の武将が臨戦体制で海の方を見つめています。おそらく博多湾に所狭しと浮かんだ元の軍船の動向を探っているのでしょう。


博多湾でヨットの大会があっているのでしょうか何だか元軍の船のようです。


西の毘沙門山方面を望む


元寇防塁は箱崎から今津あたりまで全長20kmにわたって築かれた。


別日に家族で、福岡県朝倉郡東峰村に「春の民陶むら祭(小石原陶器市)」があるということで行ってきました。

陶器を買ってお昼を食べた後に、松尾城跡というものがあるのが分かったので行ってきました。


筑前六端城というのは黒田長政が細川領との境に作った城です。若松城(三宅家義)、黒崎城(井上之房)、鷹取城(母里太兵衛→手塚光重)、益富城(後藤又兵衛→母里太兵衛)、松尾城(中間統胤)、麻氐良(まてら)(栗山利安)城の6つです。それぞれ黒田24騎の武将たちが城主を務めました。

駐車場があるので車を停めて、10〜15分ほど軽い登山をしたらお城に到着します。城の南西側から入れます。


石垣は綺麗に整備されてます。


西の大手

虎口になっています。


虎口


礎石建物跡


横矢


本丸跡と思われる


櫓台


城の南側を望む


松尾城の縄張り図

城としては簡素な作りで、防御力はあるだろうが籠城して長期間戦えるようには思えない。とりあえずの布石としておいた砦のように思える。



小石原焼のお皿と茶碗を購入しました。


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