国民の皆様へ!!マスコミや野党に騙されてはなりません!どうか、ただしい公平な目で、日本人として国政選挙に取り組んで頂きたいものです。稲田元防衛大臣・安倍総理が捏造された森友・加計学園問題の結末は散々でした。なんの証拠もない所から国会を開き国民の血税を無駄に他ことを忘れないで頂きたい。

「稲田朋美」とは何だったのか?もてはやされた「保守政治家」の凋落

テキストマイニングで読み解く

「次の総理大臣」から一転

6月に私が寄稿した文章「『ヤンキー先生』とは一体なんだったのか? 疑わしき「熱血」の正体——義家弘介・文科副大臣の過去を解剖する」(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52059)は、大きな反響を呼びました。

2000年代初め頃からメディアに若い世代の問題に「全力で」取り組む「ヤンキー先生」として露出するようになった義家氏が、2007年に自民党の議員になり、その後、同党の保守的な動きに取り込まれていく様を、現在の我が国の社会における「言論」の役割と絡めて論じ、現在の「言論」の危うさに気付かれた方は少なくないと思います。

今回はその「保守文化人発の政治家」の流れに属する、稲田朋美・元防衛大臣について扱います。

元々稲田氏は安倍首相に代表されるような自民党の中でも右派的傾向の強い人脈を支える人物として注目を浴びてきました(後述するとおり、稲田氏はかつて安倍首相が頻繁に登場していた雑誌『正論』の常連でした)。

実際第二次安倍政権誕生時には行政改革担当相に起用されました。『週刊朝日』2015年12月25日号の対談「政界の闇鍋2015」では、《初の女性首相候補に浮上する「ともちん」こと稲田朋美氏》として二階俊博・林幹雄両氏と共に登場。

2016年8月の内閣改造では当時政調会長であった稲田氏が重要閣僚に抜擢されると報道され(2016年7月31日付産経新聞)、その後防衛大臣に起用されました。

『FACTA』2016年8月20日号は、稲田氏が海外のメディアから「極右」と見なされていることや、憲法改正運動を進める団体「日本会議」と結びつきが強いことなどを踏まえ、稲田の防衛相への起用に、《エリート臭を漂わせ、リベラルを語り、戦後日本で陽の当たる場所を占めてきた「エスタブリッシュメント(既得権層)」への嫌悪感》が背景にあると論じています。

しかし、当初から稲田氏の政治家としての器を疑問視する向きは少なくありませんでした。

『週刊新潮』2016年5月5・12月号の記事「弁護士なのにメディア訴訟2連敗!「稲田朋美」夫妻の弾圧傾向」は、稲田氏を《安倍晋三総理の秘蔵っ子》であり《女性初の総理候補として持て囃されて》いるとしながらも、2014年に稲田が排外主義団体「在特会(在日特権を許さない市民の会)」とつながりがあるとした『サンデー毎日』の記事(2014年10月5日号「安倍とシンパ議員が紡ぐ極右在特会との蜜月」)や、『週刊新潮』2015年4月2日号・9月号のスクープ記事に対して、稲田氏及び稲田氏の夫(稲田龍示氏)が訴訟を起こすも、2016年3月には『サンデー毎日』相手の訴訟が大阪地裁によって請求棄却され、4月19日には『週刊新潮』の記事相手の訴訟も請求棄却されたことが採り上げられています。

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そして稲田氏の凋落を決定づけたのが、2016年に発覚した、防衛相や自衛隊が南スーダンでのPKO(国連平和維持活動)の日報を破棄していたという問題でした。

南スーダンの国連平和維持活動(PKO)での日々の活動状況を陸上自衛隊部隊が記録した日報を、防衛省・自衛隊が廃棄していたことが、同省への取材で分かった。現在11次隊が活動しているが、過去の派遣隊全ての日報が電子データも含め残っていないという。7月に首都ジュバで大規模衝突が発生した際の記録もなく、事後検証が困難になる恐れがある。(2016年12月26日付毎日新聞)

この問題は2017年2月から国会において追求され、2017年7月29日に辞任(後任は宮城県選出の小野寺五典・元防衛相が再任)。8月に行われた閉会中審査では稲田氏は出席せず、野党やメディア、そして与党内からも手厳しく批判されました。ただ安倍首相は、辞任まで稲田氏の追求をすることはほとんどありませんでした。

 

7月29日付毎日新聞(「クローズアップ2017:稲田防衛相辞任 「お友達」首相重い腰 野党、幕引き許さず」)の、

《稲田氏への対応は、4月末に東日本大震災に関し「東北で良かった」と発言し、即座に更迭された今村雅弘前復興相への対応と対照的だった》《首相は8月3日に予定される内閣改造まで稲田氏を職にとどめる考えだったが、改造まで待てば、首相への批判がさらに高まるのは明らかだった。内閣支持率の急落を受け、足元を固める必要に迫られた。外堀を埋められるように、首相は稲田氏辞任を選択せざるを得なくなっていった》

という文言にも見られるとおり、安倍首相にとって稲田氏は(防衛相の、さらには政治家としての資質に疑問があったとしても)自分の後継者として育てるべき存在だったのです。

なぜそうなったのか。

ここでは「正論文化人」というキーワードで読み解いてみます。

 

「正論文化人政治家」として

かつて「朝日・岩波文化人」という言葉がありました。これは、朝日新聞や岩波書店の雑誌『世界』などに頻繁に登場するような文化人で、「進歩的文化人」などとも呼ばれます。

ここで使う「正論文化人」というワードは、それをもじったものです(特段私のオリジナルというわけではなく、この言葉はネット上などでたびたび使われてきたものです。例えば、菅野完氏はTwitterで「産経・正論文化人界隈は、見事にソーシャル原理で動いてます」と発言)。

『正論』は1973年に産経新聞社が創刊した雑誌で、当初は季刊誌でしたが1974年5月号から月刊になりました。創刊時のキャッチコピーは「スカッとした切れ味!流動時代をリードする国民雑誌が登場しました」。

当時産経新聞社の社長であった鹿内信隆氏は、《野党イズムの行き過ぎが、いまの過激な反体制運動を助長したり、何でも反対という非建設的ムードをあおったりしているような気がしてならない》《新聞界の偏向に対する私なりの一つの挑戦》と創刊の辞に記しました(上丸洋一『『諸君!』『正論』の研究——保守言論はどう変容してきたか』(岩波書店、2011年))。

 

『正論』誌と安倍首相の関係について見ていきます。国会図書館のデータベースで「安倍晋三 正論」で雑誌記事を検索すると35件ヒットしますが、そのうち『正論』に掲載された安倍首相のクレジットが入っている記事は23件(2017年9月12日現在)。

最も古いのは2002年8月号に掲載された、保守系のキャスターである工藤雪枝氏との対談で(「憂国対談 またまた「空気」に押しつぶされた正論」)、当時安倍氏は内閣官房副長官でした。

最新の記事は2017年9月号で、「「正論」懇話会」での講演の全文が掲載されており、安倍首相の『正論』界隈での影響力が未だに強いことが伺えます。

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安倍氏関係の記事によく見られるのは、寄稿よりも対談が多いことです。

その相手も野田聖子(2003年8月号)、荒井広幸(2003年12月号)、古屋圭司(2005年1月号)、山谷えり子(2009年2月号)などといった自民党を中心とする政治家や、中西輝政(2004年7月号)、櫻井よしこ(2008年9月号など)、新保祐二(2010年2月号)、金美齢(2010年4月号)などといった保守系の文化人など多岐にわたります(敬称略)。

また安倍首相について論じた記事も少なくなく(例:西尾幹二「安倍晋三氏よ、「小泉」にならないで欲しい」2006年10月号、遠藤浩一「安倍晋三--経綸と政略の狭間で」2007年4月号、潮匡人「保守の星、安倍晋三は何をボヤボヤしているのか」2012年7月号)、『正論』が安倍氏をいかに重要視していたかが分かるかと思います。

 

稲田氏の論客としてのキャリアのスタートは、この『正論』の読者投稿欄でした。

学生時代は元々政治に興味関心がなかった稲田氏ですが、学生時代からの保守派・民族派であった夫・稲田龍示氏が愛読していた産経新聞や『正論』を読むようになり、東京裁判の記録映画を見て近現代史に興味を持つようになって、弁護士や主婦として『正論』の読者投稿欄に投稿するようになったと言います(稲田朋美「あの戦争を総括し歴史を取り戻せ」『WiLL』2015年7月号/同「右翼のレッテルには違和感がある」『文藝春秋』2015年8月号)。

そのなかで夫婦別姓に反対する投稿が弁護士の高池勝彦氏の目にとまり、裁判に誘われるようになり、南京大虐殺関係の裁判に関わるようになったことで、稲田氏は論客として本格的に活動するようになりました。

稲田氏の、読者投稿欄ではない雑誌寄稿でのデビューは、国会図書館のデータベースで確認する限りでは、『諸君!』(文藝春秋)2003年4月号の「中国「国際交流協会」で「靖國」を弁護する——非難囂々」ですが、稲田氏が重用されたのは『諸君!』よりも『正論』でした。

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当初の稲田氏は、南京大虐殺や稲田氏が関わっていた「百人斬り裁判」関連の記事が中心でした。

「百人斬り裁判」とは、戦時中に日本軍の2少尉が中国でどれだけの人を斬り殺せるかという競争をしていたという記事が掲載され、その記事は事実無根であるにも関わらず2少尉の遺族がその記事がきっかけで不当な差別を受けているとして、朝日新聞と毎日新聞、柏書房及び本多勝一氏を相手取って訴訟を起こしたものです。

この裁判は2006年12月に原告の敗訴が確定しています(なおこの「百人斬り」の事実及び記事については、笠原十九司『「百人斬り競争」と南京事件——史実の解明から歴史対話へ』(大月書店、2008年)に詳しい)。

2003年までは戦争関係の裁判の記事が中心でしたが、2004年に入ると首相の靖国神社参拝(「日本の総理は正々堂々と靖国に公式参拝を」2004年5月号)や朝日新聞批判(「冗談でも笑えぬ朝日社説の「郵便受けの民主主義」」2005年3月号)、2005年に政治家になってからは教育(「東京・国旗国歌訴訟批判 偏向判決相次ぐ司法の甘えた土壌を断ち切れ!」2006年12月号)や国籍法(「「国籍法」改正--私がDNA鑑定に反対する理由」2009年3月号)、安全保障政策(「憲法改正・核・「徴兵制」--タブーなき国防論議こそ政治の急務だ」佐藤守氏との対談、2011年3月号)など様々な事柄で論客として発言するようになりました。

2009年に『諸君!』が休刊する一方で(『諸君!』は完全に保守派一辺倒ではなく、アンケート形式の特集などで左派系の論客や金子勝氏など保守論客界隈以外の人物もたびたび登場していた。そのほか、2006年には『「ニート」って言うな!』(光文社新書)関係で本田由紀・稲葉振一郎・若田部昌澄の3氏による対談が掲載された)、2004年に創刊され、執筆陣も『正論』と被るところが少なくない『WiLL』(WAC出版)でも稲田氏は重用されました。

稲田氏の『WiLL』でのデビューは2006年8月号(「百人斬り訴訟の「事なかれ」判決」)ですが、特に2010年12月号には「菅総理に問い質す!」として、2010年10月6日の衆議院本会議において行われた代表質問が感想と共に全文掲載されました。

 

『正論』『WiLL』2誌の稲田氏関係の記事を見て気付くことは、安倍晋三氏と同様、対談関係の記事が少なくないことです。

その相手も、山谷えり子(『正論』2005年8月号)、木原誠二・北村茂男・薗浦健太郎(『WiLL』2006年9月号など)、赤池誠章(『WiLL』2007年8月増刊号など)、佐藤正久(『WiLL』2011年10月号)、田中康夫(『WiLL』2012年1月号)、片山さつき(『正論』2012年11月号)などの自民党を中心とする政治家、小堀桂一郎(『正論』2003年8月増刊号)、百地章(『正論』2004年9月号)、金美齢(『正論』2010年10月号)などといった保守系の文化人など、その扱われ方は安倍氏と重なります(敬称略)。

そのため、稲田氏も安倍氏と同様、政治家であるとともに、『正論』界隈の論客として読者にアピールしていった存在と言うことができます。

 

 

テキストマイニングで見るその役割

それでは、稲田氏の言論はどのように変容していったのでしょうか。

本節では、それをテキストマイニングと呼ばれる手法で読み解いていきます。テキストマイニングとは、文章を単語などの形態素に分解して、それで得られたデータをもとに分析を行う手法です。

今回は、稲田氏が『正論』と『WiLL』、及び他のメジャーな月刊誌である『諸君!』『Voice』『文藝春秋』に寄稿した文章を対象に分析を行います(短い身辺雑記的エッセイは除く。なお、なおテキストデータについては、筆者自身が国会図書館から取り寄せた記事のコピーを自身でOCRにかけたものを使用している。英単語は全角・小文字に変換。形態素解析に用いたのは付録に提示する辞書を用いたMeCab)。

対象としたのは次の記事です。

この中で、記事を以下の時期に分けてみました。

時期1:政治家になる前
時期2:政治家になった後の小泉政権期
時期3:第一次安倍政権〜麻生政権期
時期4:民主党政権期
時期5:第二次安倍政権期

分析には、フリーのテキストマイニングソフト「KH Coder」を使いました(KH Coderについては、公式サイト 及び樋口耕一『社会調査のための計量テキスト分析——内容分析の継承と発展をめざして』(ナカニシヤ出版、2014年)を参照されたい)。分析に用いた単語は、全体での出現数が60以上の自立語の内、KH Coder上で「名詞B」などのB分類(ひらがなだけの単語)に分類されない単語100単語です。

まず、対応分析を用いて時期と単語を同一平面上に布置してみます。

図1

この図から軸の特徴を見てみると、第1主成分(横軸)は、右側(正の方向)が政治・外交に関する実務的なもの、左側(負の方向)は裁判に関するものと言うことができそうです。

また第2主成分(縦軸)は、上側(正の方向)は政治・政局関係、下側(負の方向)は、南京大虐殺や教育基本法改正などの保守思想関係と言うことができるでしょうか。

第1期の近くに布置されたのは、裁判に関する用語でした。それが第3期になるにつれて、右下のほうにずれていくことが分かります。

これは、前の自民党政権期における「政治家兼論客」としての稲田氏が、自民党の内部の人間として保守政党とは何かということを問う立場にあったということが言えそうです。

 

しかし、第4期、すなわち民主党政権期になると一気に上の方向に移動してしまいます。

これは稲田氏が保守論壇にとっても、また2010年の本会議で代表質問に立ったことを考えると自民党にとっても、民主党及び同党による政権批判の急先鋒として活躍していたことが挙げられます。

しかし第5期の現在の自民党政権になると、概ね原点に近いところに落ち着きます。第5期にあたる記事は、かつての百人斬り裁判の振り返りや、自身の生い立ちに関するものが中心になっているのが原因でしょう。

 

次に、多次元尺度構成法を使って、使われ方の近い単語を調べてみました。

ここから単語をカテゴリーに分けると次のものになりそうです。

それぞれの単語を含む文の割合について見たのが次の図及び表です。なお掲載誌については、『正論』は当選前と当選後に分けました。

図3
図4

まず時期で見ると、第1期はカテゴリ1、第2期はカテゴリ3、第3期はカテゴリ4の単語の使用頻度が大きいことがわかります。

この流れから、稲田氏は当選前においては種々の裁判から社会などを語る論客として扱われてきたのが、小泉政権下で政治家になると、自民党の中でも特に右派的な傾向の強いグループに属する論客として保守思想的なものを中心に扱うようになり、そしてそのグループの政治家であり、そして『正論』まわりの文化人でもある安倍氏が首相になってからは、自民党のあり方について論じる政治家兼論客として扱われるようになるという流れが見て取れます(第4,5期についてはこれといった特徴は見られなかった)。

 

このことから、稲田氏は安倍氏も属する自民党の中でも保守的傾向の強いグループの理論的支柱として『正論』『WiLL』で活躍してきたことが伺えます。稲田氏が安倍首相の「お友達」のように見られるのは、このような背景も考えられるべきでしょう。

また掲載誌で見ると、当選前の『正論』はカテゴリ1と5、当選後はカテゴリ4、そして当選後に頻繁に登場するようになった『WiLL』においてはカテゴリ3の使用頻度が多くなっています。

ここでは、稲田氏は『正論』では思想的な話題を中心に取り扱いつつも、他方で『WiLL』において「百人斬り」裁判や南京大虐殺否定論を政治家として語っていた、ということが言えます。

 

保守文化人は政治家たりうるか

このような、安倍首相の懐刀の「政治家兼論客」、稲田氏のその後の凋落については冒頭で述べた通りです。安倍首相を思想面で支えてきて、次の総理とも噂された稲田氏の政治家としての危うさが多方面から指摘されるようになりました。

このところの保守系の政治家(自民党、及びそれよりも右派的傾向の強い次世代・維新系)を見ると、雑誌やネットで話題になった論客が政治家候補として起用されるケースが目立ちます。

しかしその結果はあまり好ましくないと見るのがいいでしょう。

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当選事例は、義家弘介氏や橋下徹氏、コメンテーターから2016年の参議院議員選挙で自民党の比例代表で当選した青山繁晴氏が挙げられます。

一方、2014年の東京都知事選挙に出馬して落選した田母神敏雄氏、経済評論家としてネット上で支持を集めつつも2010年の参議院議員選挙で落選した三橋貴明氏、コラムニストで、様々な対談本を出版し現代社会を批判してきましたが2017年の兵庫県知事選に出馬して落選した勝谷誠彦氏など、落選したものも目立ちます。

例えば勝谷氏は、持ち前の毒舌で現職の井土敏三氏の多選を批判しましたが、結局政策論は語られずじまいだったと有権者から厳しい目線を向けられました。

「4期16年間の閉塞(へいそく)感がある」−。勝谷氏は告示の直前から、多選批判のトーンを一気に強めた。
有権者の反応は、電話調査や会員制交流サイト(SNS)の分析で細かく把握。「多選批判は根強い」とみると、告示直後に「さすがに5期20年は長過ぎるでしょ!」と現職の弱点をビラやメールマガジンで突いた。
4月から重ねた電話調査は計4回。支持率は上昇を続け、3回目は勝谷氏が井戸氏をわずかに上回った。(略)しかし、4回目の調査では伸び悩み、井戸氏に突き放された。陣営関係者は「持ち前の毒舌が災いした」とみる。街頭で井戸氏を「71歳のおっさんでええんですか」「ただの天下り」などと激しく批判する姿に、「かえって女性の支持が離れた」。有権者からも「もっと政策を聞きたい」との苦情が届いた。
最終盤には新たなビラを作り、女性を意識して教育や子育て支援の訴えを強めた。(略)しかし、井戸陣営から「施策に大きな違いがない」などの批判を浴びた。(2017年7月3日付神戸新聞)

首長選におけるこのような候補者は、特に若い世代からの支持を「集められていません」。例えば勝谷氏については、神戸新聞社による出口調査では、10代・20代の支持率はおよそ25%程度で、30代以上(40%程度)を大きく下回っています(「兵庫県知事選出口調査 井戸氏、全世代から支持」2017年7月4日神戸新聞NEXT配信記事)。

また2014年の都知事選における田母神氏にしても、古谷経衡氏の試算では、得票に占める20代の割合は16%程度で、30代・40代の割合より低いことが指摘されています(古谷経衡『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト、2014年))。

そもそも、田母神、勝谷、三橋、青山の各氏、そして稲田氏のような右派論客の言説が「響く」と思われる層は、30代・40代といった、社会全体の中では比較的若くとも「若者」とは言い難い層であることも指摘されます(古谷前掲書など)。

首長選においては「(政治家としての実務経験の乏しい)論客出身の候補者」は、一部の社会集団内でカルト的に支持されつつも他の社会集団においてその空虚さが見透かされ落選するのがオチと思われますが、国政選挙においては、それこそ義家・稲田氏のように特に思想的側面の強い分野で活躍し、イデオロギー面で政党を支持する層の支持を固めるという役割を担うことが予想されます。ただ、やはり義家・稲田氏のように、非常に脆いということも忘れてはなりません。

 

最後に、日本維新の会は、次回の衆院選において、千葉1区の候補者としてフリーアナウンサーの長谷川豊氏を擁立することを2017年2月に発表しました。

長谷川氏といえば、《2016年9月19日に「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」と題したブログ(現在は変更)を投稿》(「「殺せ」ブログの長谷川豊氏、維新公認で衆院選出馬か 記者会見を予告」ハフィントンポスト2017年2月5日配信記事)し、大きな非難を浴びたことは記憶に新しいです。

私が長谷川氏のブログをテキストマイニングで分析したところ、長谷川氏は2015年頃から「維新」的な思想に接近していき、2016年には強い口調で社会を論ずることが多くなるなど、どんどん論客として先鋭化していく様が見て取れました(「【テキストマイニング】衆院選に出馬するらしいので長谷川豊のブログを分析する」)。

一部メディアの「歴史戦」という表現に見られるとおり、ここ数年の保守言説は日本が海外の勢力や左派文化人といった「敵」に狙われているという認識に依って立つものが多く見られます。

しかしその実態を見ると、国際社会における日本のあり方や、あるいは「〈弱者〉こそ強者、自分たちこそ真の被害者」という認識で異なる社会集団の人に有形無形の暴力を振るう人の認識を問い直すもののほうが多いでしょう。

そのような社会認識の問い直しから逃走し、他者を「敵」とみなしてバッシングするような保守言説の担い手としての稲田氏が、政治家としては実績をほとんど残せず、逆に問題を引き起こしたことの意味を、いまとなって再び考える必要がありそうです。

※一部記事は@niftyの新聞記事検索サービスから引用しています。