日本とドイツの未来を分かつ、かつての「金の卵」

日本は地方からドイツはトルコから、その違いで差がついた次世代切符

ドイツ西部オーバーハウゼンで、トルコ首相が参加して行われた集会でトルコの国旗を振る人々(2017年2月18日撮影)。(c)AFP/Sascha Schuermann〔AFPBB News

 ドイツでは9月24日に連邦議会選挙の投票があります。

 

 このようなタイミングで、珍しくミュンヘンやベルリンにいますので、私なりの遠近感ですがほかの記事にはない観点からドイツの政策などについて記してみたいと思います。

 私なりの観点と言うのは、前回まで記した「大学」の「格付け評価」と「国際性」を「移民問題」さらには「イノベーション」との関連で考えてみたいと思うのです。

投資としての移民受け入れ

 最初に、日本とドイツで最も異なっていると感じる点を1つ記してみましょう。

 政治的難民が発生したとき、例えば「ボートピープルがやって来た」というようなとき、それを「拒否する」という市民感情が、全世界で普通に見られます。

 2014年からの中東紛争で発生した難民については、米共和党政権のネガティブな対応のみならず、欧州でも、例えば2017年初にチャタムハウスが発表した調査結果など実に2人に1人がこれ以上の難民受け入れに反対という姿勢を示しています。

 難民受け入れ反対の大半は低所得層、低教育層、高齢者・・・といった分析もあるようですが、実際、生活に不安を抱える人々にとっては、難民の流入は様々な意味で生活破壊の危機と恐れられ、忌避の感情が強い。

 そのうえ、イスラム原理主義テロリストによる悪質なテロが定常的に発生するようになり、もちろん厳密な事前防止策が採られており、それに投入される官費もしゃれにならない金額に達しています。

 それでもドイツが難民を受け入れてきた背景の1つに。これは「恩恵を施す」のではなく「社会的な投資である」という考え方があることを指摘しておきましょう。

 ご存知のように、ドイツは1933年から45年に至るナチスドイツの政策により、欧州全体を破壊する人類史上最悪の惨禍をもたらし、その責任を厳しく追及されてきました。

 そして戦後、ナチスのメンタリティからそうした右傾思想だけを取り除いた「モーレツ主義」が奏功して、人類史上最速最高の高度成長のダイナモの1つとして機能しました。

 そのもう1つの片割れが日本にほかなりません。

 

すなわち、ハラキリ・カミカゼ八紘一宇のメンタリティから皇国史観などを取り除いたモーレツ社員のブラック企業的献身努力によって、人類史上最速最高の高度成長ダイナモのもう1つの駆動輪として、大きな結果を出すことに成功した。

 

 野口悠紀雄さんなどが長らく主張されている、こうした現実を、もっとありのままで受け入れた方がよいように私は思います。

 と言うのも私自身が両親とも大正生まれで、親父は兵隊強制収容所帰り、お袋は焼夷弾直接被弾という「翼賛小国民」世代に育てられた、典型的な自虐的労働中毒であることに、齢50を迎えてようやくはっきり自覚が出てきたことによります。

 芸術音楽家という特殊な職業で、企業などに(あまり)属さない(役員はしたことがあります)人生でしたので自覚が足りませんでした。

 しかし、八紘一宇もナチス的合理性も、狂気に至る目はすべて我が身の内にもあり、という自覚を持ってから、ミュンヘンやベルリンでの仕事が非常に円滑に進むようになった経験があります。

 閑話休題、そんな高度成長を支えた労働力は何だったのでしょう?

 「金の卵」という言葉は、いまや死語になっているかもしれません。以下では第2次世界大戦後の復興-高度成長期の集団就職を少し検討してみます。

「金の卵」と労働力の「全国化」

 GHQによる占領が終わり、各種復興景気が高度成長にシフトしつつあった昭和29~30年頃から、都市部では労働力が不足し、地方から義務教育修了直後の若者が、大量に労働力として都市部に導入され始めます。

 「集団就職」と呼ばれるもので、最も早い学年は昭和14~15年生まれ、現在は70代後半に相当する世代から、こうした労働力は「金の卵」と称揚されて、ある種の社会投資として国を挙げて奨励された面があったようです。

 東北地方から上野駅を目指す「集団就職列車」は1955年から75年まで運行されたとのことですから、昭和で言うと15年から35年、現在の年齢で57歳から77歳にあたる世代に「金の卵」経験者が集中するかと思われます。

 で、このど真ん中には昭和22~24年生まれの、いわゆる「団塊世代」が含まれる形になります。

 現在の政権で中枢を担う菅義偉氏(1948-)も、彼の場合は学力優秀で高校まで地元の秋田で卒業したのち、集団就職で東京に出て幾多の苦労を重ね、今日の老獪な政権運営の力を身につけたものかと思われます。

 

実際、高度成長を支えた力となったとはいえ、多くの中卒集団就職者、金の卵たちの生活は悲惨であったようです。典型的に挙げられるのが連続ピストル魔事件の犯人として刑死した永山則夫(1949-97)元確定死刑囚の名前でしょう。

 

 「金の卵」出身の芸能人としては、森進一氏が代表的と思います。日々の大変な暮らしを実際に経験してから歌手として世に出た彼の歌声が、同世代をはじめ広く日本人に受け入れられたことには相応の理由があるかと思います。

 同じ世代でも、大学まで進学している北野武や村上春樹など、都会で生まれ戦後早期の教育バブルの波を受けた人たちと、「金の卵」の現実との間には、少なからざる溝があったように察せられます。すでに50年前の話ではありますが・・・。

 さて、日本の集団就職と同様の状況が、1950~60年代の高度成長期のドイツでも当然発生していました。ただ、ここで1つ見ておかねばならぬのは、この時期ドイツは東西に分割され、ドイツの東北地方からは労働力が西に流入することがなかった事情です。

 東ドイツだけではありません。チェコもスロヴァキアもユーゴもハンガリーもブルガリアもルーマニアも・・・東はみんな東側、また西はフランスであり。スペイン、ポルトガルであり、各々の経済圏が成立しています。

 そんな状況で西ドイツは、どのようにして「金の卵」の労働力を補ったのか?

ガスト・アルバイターと統合政策失敗

 西ドイツでも、やはり「東北地方からの集団就職列車」に相当するものがありました。ただし分断されていた東側からではなく、もっと東、中東からの移民、具体的にはトルコから、安価な労働力が導入されました。

 ここに「ドイツは移民を社会投資と見る」という、日本と全く違う見方の原点があると言って、大きく外れないでしょう。

 私が初めてドイツ語を習った1970年代後半、「移民労働者=Gastarbeiter(ガストアルバイター)」は「環境汚染=Umweltverschmutzung(ウムヴェルト・フェアシュムッツング)」とともに大きく問題化しており、最初に習ったドイツ語の読本でも「離婚=Scheidung」と合わせて「3大社会問題」として取り上げられていたのをよく覚えています。

 翻って日本ではどうだったか?

 水俣病やイタイイタイ病などの公害病をはじめ、「光化学スモッグ」(いまや若い人たちには死語と思いますが、私たちが子供の頃はこういう注意報が発令されて、小学校の建物の中に退避したりしたのです)など公害は大いに取り上げられました。

 しかし、離婚がドイツほど深刻な社会問題になったとは思われず(その背景には核家族化という別の変化があったと思いますが)、「移民労働者」も問題とされることはなかった。

 各地から都会に流入してきた「金の卵」は、あくまで金の卵・労働力であって、社会資産としてポジティブに評価されていたわけですから。

 

その結果、20世紀後半の日本では「全国各地」の血縁的混淆が飛躍的に進みました。これはあまり強調されない、でも日本の本質的な変化と言ってよいと私は思うのです。

 

 お父さんが新潟、お母さんが山梨の出身とかは別に全く普通ですよね。これは江戸時代にはなかった話です。

 明治時代は封建期よりは進んだと思います。お役人を筆頭に、各地への転勤が少しずつ進んでいき、地元での結婚も少しずつ増えてはいった。

 でも、古くからの村落共同体を基礎とした地縁・血縁が濃厚で「よそもの」はあくまで余所者だった時代が長かったはずです。

 いまの日本で、例えば東日本で「お嫁さんが関西出身だから問題」なんて差別は聞かないでしょう。

 これと同じことがドイツでも起きた。

 つまり、高度成長期のトルコ系移民、また冷戦崩壊後は旧ユーゴスラヴィアなど東欧から爆発的に流入した移民層はすっかりドイツに定着し、いまや人口の3割は何らかの意味で移民の背景を持つまでに、「ドイツの血」はハイブリッド化が進んだと言われます。

 これが見えない形で進んだのが日本だったと思うわけです。もし日本人の3割が「隣国からの血」と混淆した、中国や韓国との遺伝的統合が人口の30%を超える、などという話があれば、右翼から大きな声が上がるかもしれません。

 でも「純潔な近江の国の血に、大阪や摂津、和歌山の血が入って・・・キーッ」というようなことには、まずならない。

 明治時代だったら、明らかにこういう反応があったはずです。それどころか。隣村から嫁に来ただけでも、長年大変な苦労をした人が無数にいたに違いありません。

 

つまり、ドイツは現実に起きている「混淆」をそれとして認識しているけれど、日本にはそういう免疫が、いろいろな意味で存在していない。

 

 その端的な立ち現れの1つが「移民/難民受け入れを恩恵としてみる」ではなく「社会投資」としてみる、という根本的な違いとして顕在化しているように思うのです。

 そのようにして受け入れられた移民を待ち受けたのは、前回、大学入試で言及した「資格」という壁でした。

 ドイツ社会は、多くの欧州がそうであるように、能力ベースの国家資格試験で厳しくクオリティ・コントロールされた階層社会です。

 戦後西ドイツの「金の卵」たち、トルコ人筆頭のガストアルバイターたちや、その子弟第1世代は、この「資格試験」社会で挫折し、永山則夫とは違うけれど、やはり犯罪の高発生率など社会問題を深めます。

 それは今日の移民問題に直結してくるのですが・・・。紙幅が尽きました。

 次の出稿は選挙結果が出た後になると思いますが、引き続きドイツの教育と労働の政策に触れたいと思います。

 覚えておいていただきたいのは、いわゆる「インダストリー4.0」政策が、完全にこれらを織り込んで進められているという現実です。

 日本の産業諸政策が歯の浮いたお話ではなく、本当に地に足がつくうえでは、そうした抜本的な強化が必須不可欠で、そうした観点から続稿を出していきたいと思っています。

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