スクールサポーターの「天」です。

楽しく遊ぶ子供たちの姿を眺めながら、「子供たちはいま何を考えているのだろう?」とたまに考えています。

 

子供たちの本音は子供たち本人しか知りません。

そのため「答え」はわかりませんが、子供たちの姿を通して、私自身が学ぶ機会を与えていただいてると感じています。

 

最近のことですが、友人から「不登校の生徒が全国的にさらに増えているみたい」と伝えられました。

すでに社会問題になっていると思いますが、解決方法を本気で考えるならば、「既存の方法が間違っているからこそ」ということにまず気づくことが大切かもしれません。

 

そもそも「昔」と「現在」は違います。

「守るべきものと捨てるべきものがある」と思いますが、もし「昔の人の価値観」を重要視するならば、「現状の解決方法」は見えてこないでしょう。

なぜならば人間の価値観は時代の流れで常に変化するものだからです。

 

ちなみに不変のものがあるとすれば「心」と「愛」だと思います。


私の学生時代は不登校の生徒はごく稀だったと思います。
たとえば、私の通っていた小学校は1学年に約160~170人の生徒がいました。
そして中学校になりますと1学年に約280~290人いたと思います。

子供同士でも情報の共有をしていましたので、もし不登校になった同級生がいれば、必ず噂を耳にしたと思います。
しかし同級生で「不登校になった」という噂を聞いた記憶はありません。
「怪我や病気でしばらく休んでいる」という友達はいましたが、おそらく不登校はいなかったと思います。

むしろ私の時代は「無理にでも学校に行くのが当然」という風潮だったと思います。
そのため、少し風邪をひいた程度の微熱であれば、学校に行かせていた親も多いかもしれません。

そして、人間社会からの洗脳だったのかもしれませんが、学校を休むということは、「さぼり」のようなイメージが強かった気がします。

私の子供時代は「大人は会社で仕事、子供は学校に行くのが仕事」のような教え方をされていたと思います。
だからこそ「学校を休むのは悪いこと」みたいな感覚を、子供ながらに何となく感じていたと思います。

また、もし学校を休めば担任の先生から必ず電話がかかってきました。
そのため、「こっそり学校を休もうと思っても必ず親にばれてしまう」という状態だったため、大人たちから行動を監視されているような感覚になっていた気がします。

ちなみに私は中学校までは真面目に学校に通っていました。
しかし高校生になってからはたまに休むようになりました。

冗談みたいな話ですが、雷が苦手だったので「今日は雷だから学校を休む」という単純な理由の時もありました。
また、不登校ではなかったですが、高校に関しては「学校に行くのが面倒だからしばらく休む」という同級生もいました。

特に私が通っていた高校は男子生徒が約9割という男子校だったこともあり、頭が賢い人が通うような学校ではありませんでした。
たとえば「不良が授業中に騒いでいるような学園ドラマに近い雰囲気だった」と思います。

授業中に弁当を食べる友人、授業中にトランプゲーム、校舎の裏で喫煙したりなど、絵に描いたような乱れた学園生活でした。

(未成年者の喫煙は健康や成長に悪影響ですし、法律で定められていますので絶対にやめましょう)


もちろん真面目な生徒もいましたが、私自身は授業中に昼寝をしまくっていましたし、「学校に真面目に毎日通う必要があるのだろうか?」と思いながら通学していました。

不良になる必要はありませんし、あくまでも「私はそのような青春時代を過ごしただけ」にすぎません。
しかし大人になって人生を振り返りますと、「高校時代はあまり真面目に学校に通わなかったけど、別のことを学んでいた」という気がします。

人間社会の常識では「学校は学びに行く場所」と思われているはずです。
義務教育の期間中に様々な課目を学びますし、様々な面で勉強になっていることも事実です。

ただし、私が思うに「本当に自分にとっての勉強になる機会」とは、もしかしたら「学校の授業とは違う」かもしれません。

学校に通えば、各教科の教師から様々なことを教えてもらえます。
知らないことを教えてもらえますし、様々な知識が増えると思います。

しかし、「子供本人が望んで学んでいるのか?」となりますと、よほど「学校の勉強が好き」という子供以外は、仕方なく授業を受けているという状態かもしれません。
たとえば「教師から教えられることを、とりあえず記憶するだけ」です。

ちなみに私自身は「仕方なく授業を受けている」というタイプでした。
たとえば授業中に黒板に書かれてたことをノートに写すのは「時間つぶしのため」にすぎませんでした。
「ノートに文字を書いていれば時間が早くすぎるだろう」という単純な発想でしたし、教師が教えていることは全く頭に入っていなかったと思います。

ですから学校には通っていましたが「勉強をしていたのか?」となりますと、「仕方なく勉強ごっこをしていただけ」かもしれません。

そして、あくまでも私の場合になりますが、「学生時代にどのような時に一番勉強をしていたのか?」と考えますと、実は「学校をさぼって休んでいた時」のような気がします。

おそらく多くの人は「学校をさぼっているのに勉強になるはずがない」と思うかもしれません。

しかし人間というのは必ず何かを考えてしまう生き物です。
それは子供も大人も同じです。
子供は子供ながらに常に何かを考えながら活動しています。

たとえば学校をさぼっている時でも、「必ず何かを考える」と思います。

「休んだ言い訳を考える」かもしれません。
「どのように時間を過ごそうか?」と考えるかもしれません。
「人生とは何だろう?」と考えるかもしれません。

その人それぞれで何を考えるかはわかりません。
しかし「自分なりに何かを考えている」と思います。
このような時間こそ、実は本当の勉強であり、学びのような気がします。

なぜならば、誰かに教えてもらった「答え」などではなく、「自分自身で答えを考える」からです。

また、人生において考えますと、学校を卒業した後は、独自で何かを学ぶ意欲がない限り、「誰かに勉強を教えてもらう」という機会はあまりないと思います。
もちろん宿題などもありません。

学校は教師を言うことを素直に聞いて、放課後になるまでとりあえず学校にいれば、一日が終わります。
「一体何を勉強したのか?」となりますと、「とりあえず学校に行きました」程度かもしれません。
もちろん、学校生活で学ぶことは多いですし、様々な気づきもあると思います。

しかし真面目に学校に通うだけが勉強ではないと思います。
「少し寄り道をしてみる」ということも、とても大切な時間になるかもしれません。

「学校には必ず行かせないといけない」や、「学校は気軽に休ませてはいけない」と思っている保護者の方が日本にはかなり多いと思います。
特に、昔の日本は「無理にでも学校に行くのが当然」という風潮でした。
そもそも無理に学校を休ませる必要はありませんし、「学校に行きたい」と子供が願うのであればぜひ応援してあげるべきだと思います。

しかし、「学校に通うだけが学びの機会ではない」という気持ちを持つことができれば、どのような状態だとしても優しく成長を見守ってあげられるようになるのではないかと思います。

 

 

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