今日の天気は、曇り時々小雨

 

西南戦争戦没者を追悼

令和2年3月20日(春分の日・金曜日)午前10時より、田原坂公園慰霊塔前で西南戦争戦没者追悼する献花式が開催されました。

例年は西南戦争戦没者のご遺族やご来賓をお迎えして「西南戦争田原坂戦没者追悼式」を開催して来ましたが、本年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で止むを得ず追悼式を中止し、顕彰会会員による「献花式」に規模を縮小して開催しました。

 

桜のつぼみが膨らんで暖かな天候の下で、献花台に白菊の花を手向けて、西南戦争で犠牲となった官軍・薩軍合わせて14,000名余りの戦没者のご冥福を祈りました。  (ネットより)

 

今朝の熊日新聞に関連記事が掲載されてました。

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この新聞を見て西南戦争遺跡を見て廻りました。

 

高月官軍墓地(玉東町)

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正念寺 (玉東町)

 

 

 

 

日赤発祥地

西南戦争の際に、正念寺と徳成寺などに野戦病院置き、敵味方の区別なく負傷兵を収容・治療したとして知られており、町全体として赤十字の発祥地と言われる。  (ネットより)

 

 

弾号の後が、門に食い込んでいる。

 

 

 

徳成寺 (玉東町)

 

 

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徳成寺の裏手に宇蘇浦官軍墓地が有ります。

 

 

 

 

 

 

谷村計介の墓

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石碑を、取り持って行く人が居るので鉄で囲いをしてます・

 

谷村計介とは

明治時代の軍人、嘉永6年2月13日生まれ。熊本鎮台にはいり、佐賀の乱、台湾出兵などに出動。西南戦争の際、谷干城(たてき)の命で西郷軍に包囲された熊本城から©脱出,城外の政府軍との連絡をはたす。明治10年3月4日田原坂で戦死。25歳。宮崎県日向出身。本姓は坂本。

 

豊田の眼鏡橋 (植木町)

 

 

 

田原坂入り口

 

 

谷村計介の戦死地

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田原坂古戦場 (植木町)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西南の役 戦没者慰霊之碑

 

 

 

七本柿木台場薩軍墓地 

薩軍墓地は、ここだけ見たい

 

 

 

西南戦争戦没者追悼式にお見えに成った遺族の人が、献花されたんでしょう。

 

 

七本官軍墓地 (植木町)

 

 

 

遺族の方が、献花されてる見たい

 

 

植木町から玉東町へ行く途中、植木町笹尾のシダレ桜を、見に行ったが既に終わっていた。

 

 

 

 

半高山 (玉東町)

 

半高山とは

薩軍の陣頭指揮所

 

 

 

 

沢山のメジロが、桜の蜜を吸ってる

 

 

 

吉次峠戦場地跡 (玉東町)

 

 

 

篠原国幹戦没地 (玉東町)

 

篠原国幹とは

明治の薩摩藩出身の軍人、西郷隆盛を助けて私学校を経営,西南戦争での戦闘中戦死。

薩軍一番大隊長

 

 

 

 

 

 

 

                  おしまい