年末年始は帰省される方も多いと思います。
私も今年は実家に帰りました。昨年はとても遠出できる体力はなかったのですが、今年は帰省することが出来ました。
両親も兄弟も、元気になった私の姿を見て、とても喜んでくれました。
実家の仏壇に手を合わせたとき、ご先祖様たちの存在を感じました。
私の父方の家系はガン家系で、父も食道ガンで食道を全摘出しています。
年老いた両親の、愚痴ったり、不満を言ったりしている姿を見ていて、私の中にも同じものが受け継がれている。
その家に受け継がれているカルマ(業)があると感じたのでした。
一人一人オリジナルにカルマを負っていますが、個人の持っているものとプラスして家のカルマがあるなと。
病気は心が作る。その心を改めるために病気が与えられるとしたら、改めないからずっとそれが続くのです。
その脈々と続く流れの中で私もガンになり、一昨年の10月、死にそうなところまで行きましたが、今のところガンは見当たらず元気になりました。
ご先祖様たちが私を見ているな、と感じたのです。
良かったねと喜んでいる感じでもないのです。
つまり、まだこの物語は続く、なのです。私がこの人生をどのように生き、どのように終えていくのか、ご先祖様たちがじっと見ている。
肉体をもっているからこそ、心を学び、魂を高めていけるのだから。
自分一人分のカルマだけでなく、私につながる代々の人たちの分まで、心を学ぶことによって浄化できるのだと、改めて感じた今年の帰省でした。
そして血の繋がる人たちだけでなく、心を学び、美しくしていくことで、この世界を浄化することもできるのだから、本当にこの生き方は大事なのです。
新たな一年をスタートするにあたり、心新たに再スタートです。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年の1月1日木の花ファミリーみんなで初日の出を見に行きました!
忘れもしない昨年の10月26日、子宮頸癌による大量出血のため急遽入院し、命が危ないとのことで家族が呼ばれました。
あれからもう1年が経ちます。
48日間の入院中のいろいろな物語があり、今こうして生きています。
緊急の事態だったため、治療というより止血するために強い放射線を当ててもらいました。
でも早くて3カ月、長くても6カ月でまた出血が始まるかもしれないと言われ、余命宣告だと思い、過ごしてきました。抗がん剤の治療も覚悟していました。
今、沼津のがんセンターで定期的に受診していますが、CTや血液検査の結果、今の時点では癌と思われるものは見えないとの診断をいただいています。抗がん剤の治療も必要なく、今はなんの治療行為も必要ないとのことで、経過観察をしています。
あの時のことを思うと本当に嘘のようです。
午前中はロータスランドのスタッフとして働き、午後は育苗の作業をしています。
一日働いて夜は布団にバタンキュー。
ブログもずっと書いていませんでした。
・・・・・・
あの時の私と、今の私。
何が違っているのかと質問されたことがあります。
傲慢だった。謙虚でなかった。ものが観えていなかった。
この世界を自分の狭い価値観で見、判断をくだしていた。
自分を守ることが第一で、そのために一生懸命だった・・・・・。
・・・今は、
自分のための人生は、もう終わりだと思っています。
もうこの世にいるはずのなかった私が、こうして生きている。
みんなのお役に立ってこそ、それが何よりの幸せです。
「きょうこ」という人間をず~っとやって来て、その結果「癌」になったのだから、今までの自分では完全にもうダメということがやっと分かったのです。
「今までの自分はもうダメだ」と分かったことが癌をもらって一番いいことでした。
「自我を超える」と言葉では分かったつもりになっていたけれど、ずっと長年やってきた自分をなかなか捨てきれない私だった。やっと自分にお手上げになれたのです。
自分を守らなくていいと、とっても楽なのです。
今までいかに余分な無駄な思考ばかりしていたか・・・。
自分より大切な何かの為に生きる。
自分より大切なものがあるという事は、とても幸せなことです。
頑固な私にそのことを分からせてくれた「癌」さんには、本当に感謝しかありません。
そこまでしないと分からない頑固者だったのです。
「癌(ガン)」と「頑固(ガンコ)」は音が一緒ですね。
いさどんは「ガンはガンコに繰り返し繰り返し出てくるからガンという」と言っていました。
繰り返し繰り返し出てくる。だから繰り返し繰り返しそこを越えていくのです。
これからは「ガ」の濁点をとって「カン(直観)」のはたらく者になるべく日々精進です。
まだまだ出来の悪い私であります。
ものが観えないこともたくさんあります。
だからこそ、一歩一歩登っていくのです。
改めて一年前のことを振り返り、心新たにスタートです。
こうしている今も、刻一刻と「死」に向かって進んでいます。
だから、今日一日を、今を、大切に生きる。
先日、超大型の台風21号が本州に上陸し、各地で大きな被害が出ました。
今また台風22号が通過しています。
自然災害といいますが、それは単に自然に起きた事ではないと思うのです。
確実に地球温暖化は進んでいて、台風も大型化してきています。
つまり、自然災害といっても、もとをただせば人間が起こしたこと。
経済発展し、便利な世の中になりましたが、人間の自我や欲望を膨らませ続けてきた結果、様々な自然災害が起きています。地球が怒っている。
だから自然災害は、疎ましいもの、嫌なもの、起きてほしくないものという捉え方ではなく、ある意味人間の傲慢さを教えてくれるものと言えるのではないでしょうか。
私は「癌」というものをいただきました。
それは間違いなく私自身の心が作り出したものだと、確信しています。
台風もまた、私たち人間が作り出したもの。私たちというか「私」です。
全ての現象は心の現れです。
そしてそこから人は学ぶことが出来る。
破壊する側ではなく、調和をもたらす側になれるはずなのです。
だから、日々謙虚に。
心の学びは続きます・・・。
全てのことに、ありがとうございます。
巨大なエネルギーである台風。破壊であり、浄化でもある。その台風に想いを馳せてみました。
さて、いよいよ「いただきます物語」第1章。
(前回のブログより、木の花劇団の劇「いただきます物語」のシナリオを紹介させてもらています。劇団については「劇を終えて」をお読みください。)
この章では、死ぬとはどういうことか、ということがテーマです。
いつ死んでもおかしくない状況の中で、いさどんが死について宇宙視点から語ります。
注目して欲しいのは、いつも病室に「笑い」が絶えないというところです。
私自身は、最初は本当にとてもしんどいのです。セリフにもあるように、もう今度こそダメだろうと覚悟している状態なのですから。
けれど、みんながやってくると、病室の空気がガラッと変わって、笑いが絶えないのです。
そして、私もなぜか元気になって、一緒に笑っているのです。
そんなことが何度あったことか。
その笑いは、ただ面白い番組を見て笑うというのとは質が違っていて、この世界の真理を語っていく中で湧いてくるものなのです。
この劇から、その何とも言い難い、楽しく充実した空気を感じてもらえたら幸いです。
そして、「死」という人間だけでなく生きているもの全てにとって、本能的に恐れるものさえも、宇宙法則から観てみると、何も恐れることはない、ということが観えてくるのです。
それと同時に、この世界に生まれてきた意味も明解になるのです。
いさどんのセリフで「この世界の仕組みを分かってしまうと、恐れることなんて何もないことがわかるだろう。」というのがありますが、本当にそうなのです!
「死生観」というように「死」が先にあって、次に「生」が来る。死ぬことの意味が分かると、自ずと生きていることの意味も分かるという仕組みになっているのですね。
そんな病室での話を聞いて、だんだんと心が変化していく疫病神にもご注目。
さて、前置きはこれくらいにしますね。
第1章はとても長いので今回は前編、次回は後編とします。
それでもちょっと長いのですが、お付き合いください。
***********
スクリーン <第1章>死ぬってどういうこと?
(明転)
病院のベッドに横たわるきょうこ(眠っている)と、そこに付き添うこうちゃん。
疫病神と死神が入ってくる。
疫病神:この部屋じゃ。
死神:(きょうこの顔をのぞき込んで)ふ~む、なるほど。(鎌を振り下ろすふりをする)
(そこへ医師が入ってくる。疫病神と死神は、端の方へ寄って様子を伺う。)
こういち:・・・もう、輸血は出来ないのですか?
医師:そうですね・・・きょうこさんのようにいつまた出血するかも分からない人に、貴重な血液を輸血することは出来ないのですよ。
こういち:やっぱり・・・そうか・・・。
医師:つまり、今のきょうこさんに私たちが出来ることはないということです。次に大量出血したら命が危ない。すぐにご家族の方を呼んでください。
こういち:・・・分かりました。
死神:どうやら、わしの出番が来たようだな!
疫病神:お手並み拝見、とさせてもらおうかのう。
きょうこ:(目覚めて、周りを見回す)ああ・・・こうちゃん。
(こういちの手を握りながら)こんな心の出来の悪いままで、あちらの世界にいけない。
やり切っていないことも、まだまだたくさんあるし・・・。
こういち:そうだろう?・・・まだ死んじゃだめだ!
きょうこ:・・・こんなところまで、来ちゃったね・・・。(また眠る)
死神:そろそろだな・・・。(と言って歩み寄る。今にも鎌を振り下ろさんとばかりに)
そこへ、いさどんとようこがやって来る。
死神:な・・・なんだ、こいつら?(と部屋の端へ戻る)
きょうこ:・・・(目覚める)・・・ああ、いさどん・・・。
いさどん:おお、来たぞ。(顔をのぞき込んで)生きとるじゃないか。
きょうこ:うん・・・生きてるね。いつも眠りから覚めるたびに「あぁ、生きているな」と思うの。生きているという事は、いつも死と隣り合わせなんだね。
いさどん:そうだ。それを「必死」というんだよ。
こういち:「必死」か・・・。
いさどん:そう、必死とは「必ず死ぬ」と書くだろう。
きょうこ:必ず死ぬ・・・。そう!そうなのよね。(気付き)
私・・・こんな状況をもらって、やっと実感できた。
死神:そういうことだ。全てのものは、必ず死ぬのだ。いつでも、死ぬ可能性が、すぐそこにあるのさ。
きょうこ:まだ元気があるときは、いつかは死ぬかも知れないけれど、また明日があるさ・・・
くらいに思っていた。・・・でも、本当に人は死ぬ。
こういち:1時間後に交通事故に遭うかも知れないしね。
死神:1秒後かも知れないぜ。(鎌を振り上げる)
ようこ: いつでも、誰でもが、死と隣り合わせなんだね。
いさどん:だから、一瞬一瞬を真剣に生きるってことさ。
きょうこ:そうだね。一瞬一瞬の積み重ねが、時を作っている。
こういち:いつ死んでもいい、そんな生き方をしていくってことだね。
(大事なところなので、ここで少し余韻をもたせる)
きょうこ:ところで、私、夢を見たの。体が軽くなって、ふわっと上にどんどん昇っていくの。
あぁ、気持ちがいいなあ、このまま上の世界に行っちゃうのかな・・・と思ったら・・・。
(死神、鎌を振り上げたまま、振り下ろすタイミングを狙っている様子)
きょうこ:突然いさどんが現れて「いさどん・・・」って私が呼びかけたら、ピカッと太陽の様なすごく眩しい光になって、あんまり眩しいから、目が覚めた。
いさどん:(帽子をとり、頭をなでながら)今だって眩しいだろう?(チ~ン)
みんな:(笑う)
死神:なんだか、調子が狂うな・・・。(振り上げていた鎌を下ろす)
きょうこ:この間みんなが来てくれた時、みんなのエネルギーで呼び戻してもらったなと思ったけれど、いさどんにもこうしてこの世界に引き戻してもらったね。
いさどん:この世界は愛が大事で、愛情は毒になる。なぜなら、愛情は執着を生むからね。でもな、旅立つ人を引き戻すのは愛情なんだよ。
ようこ:いさどんは情が深いからね。
こういち:すごいね。愛と愛情を使い分けるんだね。(笑)
死神:おい、疫病神、なんだか話が違ってきたじゃないか。
疫病神:い、いや・・・こんなはずじゃ、なかったのにのう・・・。
(暗転)
ナレーション:そしてその4日後、また大量出血がありました。
(明転)
死神と疫病神、部屋をわがもの顔で歩き回る。
死神:・・・今度こそ、わしの出番だな。
きょうこ:あぁ~、あぁ~・・・・。(呻いている)
死神:おっと、また来やがった。な、なんだ、この集団は?
疫病神:今日はまた、一段とたくさん来よったなあ・・・。
(死神と疫病神 部屋の隅の方へ寄る)
(←ここでドヤドヤの効果音 いさどん、ようこ入る)
きょうこ:(周りを見回して)ああ、みんな来てくれたのね。
こういち:もう3回目だよ。
きょうこ:その度に、もうダメかなって思うんだよ・・・。(弱々しく)
いさどん:ちょっと提案があるんだけどな・・・この際だから、何回行けるか挑戦してみるか!
きょうこ:・・・それは・・・面白いね!(笑う)
みんな:(つられて笑う)←ここで深刻な雰囲気がガラッと変わる
死神:こんなとこで笑うか?普通はな、死にそうなやつがいると「逝かないで~」なんていって、すすり泣いているもんだけどよう。ここの部屋のやつらは気が変なのと違うか?
疫病神:確かに変なんじゃが・・・。でも、楽しそうでいいのう。
―間をおいてー
いさどん:我々は今、こんな小さな部屋の中にいるけどな、今日はちょっと宇宙に意識を飛ばしてみるとするか。
死神:う、宇宙?
疫病神:なんだそりゃ?(顔を見合わせる)
いさどん:大きな大きな宇宙の中で、我々は本当にちっぽけな存在だ。
疫病神:(いさどんのセリフに合わせながら、「大きな」と「小さな」を身振りで表現する)
いさどん:死んでしまうと全てが終わってしまうように思えるかも知れないけれど、よ~く考えてごらん。実は宇宙の物質は消えることはないことが観えてくる。
こういち:この地球もそういう仕組みになっているよね。
きょうこ:冬になると木の葉っぱは落ちてしまうけれど、それは無くなってしまったわけではないものね。
こういち:土に落ちて、虫がその葉っぱを食べて、その次にもっと小さな微生物たちが虫たちの糞を食べて・・・。
きょうこ:それが、また木の栄養となって、葉が茂る・・・。
いさどん:そうさ。はじまりから今まで、消えることなく、ただ変化しながら、形を変えながらぐるぐる、ぐるぐる廻っているってことだ。
(疫病神いさどんのセリフに合わせながら、体をぐるぐる回して、目が回って、よろよろ倒れる)
(周りにいる木の花ファミリーのみんな、なるほど、といった感じで頷きあう)
きょうこ:ただ形を変えながら循環している、ということね。
いさどん:そうだ。
きょうこ:私ね、自分が死んでしまうと思うと、すごく怖いの。
いさどん:我々は、死んだ先の世界を見たことがないから、死ぬことを恐れたりするんだ。
きょうこ:そう、怖い。
いさどん:でもね、実はこっちの世界とあっちの世界を行ったり来たりしているだけなんだよ。
きょうこ:・・・こっちの世界と・・・あっちの世界・・・?
いさどん:こっちの世界とあっちの世界、って分けて考えてないか?
きょうこ:そうだね。分けて考えている。
こういち:それで、こちらの世界からしか見ていないよね。
いさどん:そうだろう。こっちの世界だけから見ていると・・・怖いんだ。
けど、本当は、こっちもあっちも一つの世界の裏と表なのさ。繋がっている。
こういち:そうか。ひとつの世界の、あっちとこっちというだけなんだね。
いさどん:そうさ。もっと大きな視点で見れば、我々はあっちの世界とこっちの世界を行き来しながら、この大宇宙の時空を旅しているということなんだよ。
きょうこ:すごい!宇宙を旅しているなんて!そんな発想、今までなかったわ。
こういち:そうか!面白いな!ひとつの世界を、ただ移動しているだけなんだね。
いさどん:そうさ。大体分からないから怖いってい言うけどな、それなら、明日のことだって誰も分からんぞ。あるかないかだって誰にも分からんだろう?
きょうこ:確かにそうだね!けど、分からないからって、怖がって明日に行かない人なんて、いないよね!(気付き)
こういち:ははは。さっきまで、死ぬのが怖いなんて言ってたくせに。
いさどん:生きてるから、死ぬのが怖いって言うけれど、死んで帰って来た人はいないんだからね。なんで、怖いなんてわかるんだ?
きょうこ:ははっ。ほんと、ほんと!
いさどん:逆に、生まれてくる時、怖いって言って生まれてくる人がおるか?
こういち:いないよね!
きょうこ:発想を逆にしてみるだけで、ものの見え方も変わって来るね!
こういち:面白いなあ!
いさどん:そういうものさ。この世界の仕組みを分かってしまうと、恐れることなんて何もないことがわかるだろう。
こういち:そうだね。
いさどん:だから、本当は、生きているとか死んでいるとか、そんなところにこだわる必要なんて全くないんだ。
きょうこ:本当だね!
いさどん:けどな、こだわらないからって、まだ逝くんじゃないぞ!(笑)
ようこ:(笑いながら)まだ死んじゃダメよ。
―間をおいて―
疫病神:(小声で)おいおい、あんたの立場がないのう。
死神:・・・やかましいわい。
いさどん:たとえ、死んだとしても、我々の魂は消えることはない。そしてな、もともと我々の魂はあちらの世界にいたんだよ。
きょうこ:あちらの世界・・・。
いさどん:そう。あっちが大本だ。
―間をおいてー
疫病神:おお、死神さんよ。あっちの世界って、知ってるか?
死神:そんなの知らん。
疫病神:へえ、知らんのか?真学校の授業でやってたぞ。居眠りしてたのとちがうか?(ちょっとバカにして)
死神:やかましい!
疫病神:じゃ、教えてやろうかの。(いつも手下の疫病神が得意げに)
あっちの世界とはの、「潜象界」のことじゃ。
死神:潜象界??・・・ますます、訳がわからん!(イライラして)
―間をおいてー
こういち:普通は、この肉体を持っているこちらの世界こそが全てだって思っちゃうよな。
きょうこ:だから、死んだら全て終わっちゃうって、そう思うよね。
いさどん:でも、本当は肉体が消えても、魂は消えない。そしてな。この肉体は、実は借り物なんだよ。
きょうこ:借り物?
こういち:仮の姿、ということだね。
いさどん:そうだ。あちらの魂だけの世界だと、心というものを変えることが出来ないんだ。
こういち:ということは・・・この肉体を持った世界でしか、心を変えていくことが出来ないっていうことなのかな?
いさどん:そういうことだ。
きょうこ:そうか!心を変えていく。そのために私たちはこの地球に降りてきたのね!(気付き)
いさどん:広~い果てしない宇宙の中で、この稀にみる生命(いのち)の星、それが地球だ。
こここそ、心を学ぶために創られた星なんだよ。
こういち:すごいな~!
きょうこ:そういうことなんだね!(気付き)
いさどん:心を変えていく、つまり心を学んでいくということを「心磨き」というんだよ。
きょうこ:心磨き・・・。
こういち:そうか。その心磨きをするために、僕たちは肉体をもって生まれてきた。
いさどん:そして、その目的を終えたら、肉体をお返しして、あちらの世界に帰るだけなんだよ。
きょうこ:そうか・・・死ぬっていうことは、借りていたものをお返しして、もとの場所に帰るだけ・・・そういうことなのね!(気付き)
いさどん:そうだ。それが我々がこの世界に生まれてきた目的なんだよ。
―間をおいてー
疫病神:な~るほど・・・。勉強になるのう。
死神:何を言っとるんだ。訳の分からん話ばっかりで、わしの方が死にそうじゃ!
疫病神:あんたが死んだら、誰がお迎えに来るんじゃろうかのう?
死神:死神に決まっとるだろ。
疫病神:死神はあんたじゃよ。
死神:・・・おお、そうじゃった!
いさどん:さあ、今日はこんなところで帰るとするか。
(第1章 つづく)
***********
こんな風に「死」というものを捉えられたら、本当に囚われのない心で生きることが出来ると思うのです。
この劇は、身内だけでなく、将来的には老人ホームなど旅立ちが近い人たちや子供たちにも見てもらえるようになったらいいな、と密かに思っています。
それでは、次回「第1章 後編」お楽しみに!



