子供の頃に初めて苦しくて息ができなくなるほど笑わせてもらったのがブラウン管の向こうにいた志村けんさんでした!

僕は沖縄に住んでいて、小学校ではドリフに影響されてない生徒を見つけるのはほぼ不可能な状況でした。

つまり70年代とは、日本の隅々までドリフの笑いが行き届いていた時代だったのです!

『8時だヨ!全員集合』も『ドリフ大爆笑』も寸分とも見逃してはなるものかとかじりついて見ていた記憶があります。

特に僕は『ドリフ大爆笑』が好きで、
もちろん両方好きなんですけど、火曜日の夜から始まる『ドリフ大爆笑』は1時間半くらい尺があって、まあ長い時間楽しめるんですね。
それと、コントをたくさんやるんですね。
それが嬉しくて^ ^

普段どんな嫌なことがあっても、あのオープニングの曲が流れると脳内が幸せに満ち溢れてどうにかなってしまいそうでした。


僕は東京に出てきて俳優を目指して日々芝居の稽古とエキストラ活動に励んでいる時期がありました。

20才くらいの頃、僕は四谷三丁目に住んでいました。当時所属していたプロダクションの寮(のようなところ)です。
ある夜歩いていると、近所の焼肉屋からテレビで活躍する某タレントさんたちがガヤガヤと出て来ました。よく見ると、その中心に志村さんがいました。ハッと驚いて立ち止まって見つめてしまいました。
一瞬目が合いました。これは一生の思い出だと興奮したのを覚えています。

偶然にも数日後エキストラで『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の収録現場に行くことになり再び志村さん(加藤さんも)の目に触れることになりました。
エキストラといっても何となく役らしきものもあって少しだけ志村さんとの絡みもありました。一応宣材写真でキャスティングされたようです。
もちろんセリフなんかなかったけど、でも嬉しかったです!スーパースターをより近くで見て感じることができたんですから。その時のコントの収録も面白かった。実際に目の前で見ても面白いんだと感動した記憶があります。

さらに数日後、フジテレビの食堂で仲間とご飯を食べていると、偶然にも志村さんがスタッフらしき人たち数人とやって来ました。
当時のフジテレビは新宿区の曙橋駅近くにあって、僕の住んでいたところやレッスン場とも近くて、ちょいちょいフジテレビの食堂に出入りしていたんですよ。あの頃のテレビ局は誰でも自由に出入りできたんじゃないかな、たぶん。
すると、なんと志村さん一行が僕たちの隣のテーブルに座ったんです。そして志村さんが僕の顔を見て(二度見して)「あれ、誰だっけお前?」という表情をしたんです。
僕はどう反応していいのか分からず、すっと目をそらしました。
「僕は何者でもありません。たまたま偶然ここ何日間で志村さんの目に3回も触れてしまいました。ただそれだけなんです」と説明したかったのですが、もちろんするわけにもいきませんでした。

あの時僕はどう反応すれば正解だったのか、今でもたまに考えたりします。

本当にいい思い出です👍

ご冥福をお祈りします。

先日の取材前に!