日本人に生まれたことは幸せですか?
また更新が止まってしまいました。
楽しみにしてくれてた人、ごめんなさい。
本来なら世界一美しいビーチと絶賛されているザンジバル島編ですが
予定を変更して
マラウイ編を書いておこうと思います。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
何にもない田舎をひたすら走ります。
マラウイに入国してから
バスからの光景がガラっと変わった。
陸路の国境を越えたからって
景色自体がガラっと変わることは滅多にない。
きっと
マラウイに入ってから
人の表情がタンザニアと違って見えたってだけ。
でも
不思議なことに
人がニコニコしてると
目に映る光景全体がパッと明るく見えたんだ。
だからガラっと変わったように感じたんだと思う。
バスに向かって手を振るマラウイ人の笑顔は
まさに『弾ける笑顔』そのもの。
オーバーランドツアーのトラックなんて
毎日何台も通過してるはずで
めずらしいわけじゃないのに
見えなくなるまでずっと走って手を振ってくる彼らのその笑顔に
『裏』はないと
バスの窓から満面の笑顔で手を振り返していた私は思っていて
すごく幸せな気持ちでいた。
どこも家はこんな感じの造りだったけど、地域によって形が違ったよ。
なんだか人と触れ合いたい気分だったんだと思う。
マラウイ湖のキャンプ場でも
シュノーケルとかいくつかのオプションが用意されていたけど
私は迷うことなくをビレッジツアーを選択した。
※ビレッジツアー=近くの村を訪れて現地の人や生活と触れ合うツアー
そのツアー(徒歩)は日によってガイドが変わるらしく
ガイドが住む村に連れて行ってくれるらしい。
これまで
スーパーや土産物屋の店員やキャンプ場のスタッフくらいしか
アフリカ人と話す機会がなかった。
バスの窓からただ見ることしかできなかった笑顔溢れる人たちと
話してみたいという好奇心もあったけど
なんといっても
今まで私が想像してきたアフリカ人の生活というものを
実際にこの目で見てみたいという気持ちが強かった。
日本でテレビや教科書でしかアフリカを知らなかった私が
想像してたアフリカというのは
ずばり『貧困』。
でも
旅をしていろんな地域に行って
同じ『ヨーロッパ』でも南欧と北欧じゃぜんぜん違うし
『アジア』だって日本とインドじゃ全然違うことを知って
一括りに『アフリカ=貧困』ではないと
思うようになったし
アフリカの中でも観光客が多い私の旅ルートでは
きっと本当の意味の貧困を見て、感じることはできないだろうってことも
分かっていた。
ツアーが始まると同時に
どこからか現れた子供たちが群がるかのように近づき
みんなの手を取って村までの道のりを歩き出した。
私に近寄ってきた子供はいなかった。
自分が人気がないことには慣れているけどw
初対面の子供にまで不人気なのか・・・と
ちょっとショックを受けつつ
みんなの後ろをついていっていると
「待って、待って!」と言わんばかりに
追いかけてきてる女の子がいることに気づいたので
その子を待つことにした。
全速力だったんだろう。
息切れしたその子を抱っこして
今度は私が走った。
みんなに追いつくと
その子は即座に私から離れて
まだ片手は空いていたオーストラリア人の手にしがみついて
歩き出してしまった。
どこまでも不人気な自分にドンマイって声をかけた。
一通り白人のツアー客たちと戯れて飽きたのか
私のところにも子供たちがやってくるようになった。
「どこから来たの?」
「ジャパンだよ。」
「それはどこ?」
「チャイナの隣だよ。」
「チャイナってどこ?アメリカの中?」
かの有名なジャパンを知らなかったことにビックリした。
ガイドは「たまに日本人もこのビレッジツアーには参加してる」って言ってたし
この子たちはオランダやアイルランドなど
主要とはいえないヨーロッパの国の場所は知っていた。
「ジャパンはオーストラリアの上にあるんだよ。」
「あぁ、オーストラリアなんだぁ!」
ニコニコ笑顔で話していたけど
私の両手は空いたままだった。
アフリカ・某国でのアジア人差別が超絶ヒドくて最悪を越える最悪だった!
と誰かに聞いた話が頭を過ぎった。
まさかね・・・。
そう思いながらも
無邪気な子供にすら距離を取ってしまう。
村への道の途中に水場があった。
次から次に大きなバケツと共に人が現れる様子から
この地域の人々にとって
ものすごく大切な場所だってことが分かる。
「これはカナダからのプレゼントなんだ!」
ガイドは嬉しそうに言った。
ツアー仲間のカナダ人も嬉しそうに笑った。
「これのおかげで私たちはとても助かっているのよ!」と
カナダ人に感謝の気持ちを伝える村人たち。
老婆はカナダ人の手を取って今にも泣きそうな勢いで
何度も感謝の言葉を口にした。
赤ちゃんを背負った母親は
散り散りになっていた自分の子供たちを全員呼び寄せて
カナダ人に感謝の言葉を言わせた。
子供たちが身に着けている物から
ここに住む人たちがどのくらい貧しいのかは
十分伝わってきてた。
教科書やニュースで取り上げられるほどではないけど
日本じゃなかなか考えられないレベルだと思った。
途上国ではけっこう見かける感じといえば分かりやすいかな?
でも
不思議なことに
今まで出会ってきた貧困に直面している人から感じた
必死さとか卑しさ、悲しさ、怒りや嫉妬といったものを
ここの人たちからは一切感じられない。
むしろ楽しそうで
毎日が幸せで仕方ないって感じがした。
「ぷにょさんはこれが本当の彼らだと思う?」
そこそこ旅の経験があるイギリス人が私に言った。
「どういう意味??」と聞いた私に
彼は一方的に話した。
「ガイドはしきりに『ここは生活が苦しい地域だ』と訴えてくるのに、
物乞いはいないし、小さな子供すら何もねだってこない。
僕たちツアー客は現地の人に物やお金をあげることは禁止されてるけど、最後に寄付の機会が設けられてる。
つまり、僕たちを接待して楽しませて最後に寄付をしてもらおうって魂胆がさ・・・。
だったら最初っから思いっきり物乞いしてきてほしいし、子供にもオモチャに群がってほしい。
ある意味それを見るために僕はこのツアーに参加したんだから。」
聞きたくなかったって気持ちと
思わず納得させられかけた部分があって
頭の中が軽くパニックを起こした。
「こんなにしょっちゅうツーリストが押しかけて、その裕福な様子を見せつけられて、負の感情が湧き起こらないようにするのはとても大変なこと。」
知らないほうが幸せなこともあると彼は言った。
知ってしまって余計な感情や欲が出来てしまうのが人間だと。
じゃあ、生まれながらにして『豊か』を知ってる私たち先進国の人間は幸せなの?不幸なの?
って思ったけど
聞かなかった。
つづきます。
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今日も遊びに来てくれてありがと(´∀`)
楽しみにしてくれてた人、ごめんなさい。
本来なら世界一美しいビーチと絶賛されているザンジバル島編ですが
予定を変更して
マラウイ編を書いておこうと思います。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
何にもない田舎をひたすら走ります。
マラウイに入国してから
バスからの光景がガラっと変わった。
陸路の国境を越えたからって
景色自体がガラっと変わることは滅多にない。
きっと
マラウイに入ってから
人の表情がタンザニアと違って見えたってだけ。
でも
不思議なことに
人がニコニコしてると
目に映る光景全体がパッと明るく見えたんだ。
だからガラっと変わったように感じたんだと思う。
バスに向かって手を振るマラウイ人の笑顔は
まさに『弾ける笑顔』そのもの。
オーバーランドツアーのトラックなんて
毎日何台も通過してるはずで
めずらしいわけじゃないのに
見えなくなるまでずっと走って手を振ってくる彼らのその笑顔に
『裏』はないと
バスの窓から満面の笑顔で手を振り返していた私は思っていて
すごく幸せな気持ちでいた。
どこも家はこんな感じの造りだったけど、地域によって形が違ったよ。
なんだか人と触れ合いたい気分だったんだと思う。
マラウイ湖のキャンプ場でも
シュノーケルとかいくつかのオプションが用意されていたけど
私は迷うことなくをビレッジツアーを選択した。
※ビレッジツアー=近くの村を訪れて現地の人や生活と触れ合うツアー
そのツアー(徒歩)は日によってガイドが変わるらしく
ガイドが住む村に連れて行ってくれるらしい。
これまで
スーパーや土産物屋の店員やキャンプ場のスタッフくらいしか
アフリカ人と話す機会がなかった。
バスの窓からただ見ることしかできなかった笑顔溢れる人たちと
話してみたいという好奇心もあったけど
なんといっても
今まで私が想像してきたアフリカ人の生活というものを
実際にこの目で見てみたいという気持ちが強かった。
日本でテレビや教科書でしかアフリカを知らなかった私が
想像してたアフリカというのは
ずばり『貧困』。
でも
旅をしていろんな地域に行って
同じ『ヨーロッパ』でも南欧と北欧じゃぜんぜん違うし
『アジア』だって日本とインドじゃ全然違うことを知って
一括りに『アフリカ=貧困』ではないと
思うようになったし
アフリカの中でも観光客が多い私の旅ルートでは
きっと本当の意味の貧困を見て、感じることはできないだろうってことも
分かっていた。
ツアーが始まると同時に
どこからか現れた子供たちが群がるかのように近づき
みんなの手を取って村までの道のりを歩き出した。
私に近寄ってきた子供はいなかった。
自分が人気がないことには慣れているけどw
初対面の子供にまで不人気なのか・・・と
ちょっとショックを受けつつ
みんなの後ろをついていっていると
「待って、待って!」と言わんばかりに
追いかけてきてる女の子がいることに気づいたので
その子を待つことにした。
全速力だったんだろう。
息切れしたその子を抱っこして
今度は私が走った。
みんなに追いつくと
その子は即座に私から離れて
まだ片手は空いていたオーストラリア人の手にしがみついて
歩き出してしまった。
どこまでも不人気な自分にドンマイって声をかけた。
一通り白人のツアー客たちと戯れて飽きたのか
私のところにも子供たちがやってくるようになった。
「どこから来たの?」
「ジャパンだよ。」
「それはどこ?」
「チャイナの隣だよ。」
「チャイナってどこ?アメリカの中?」
かの有名なジャパンを知らなかったことにビックリした。
ガイドは「たまに日本人もこのビレッジツアーには参加してる」って言ってたし
この子たちはオランダやアイルランドなど
主要とはいえないヨーロッパの国の場所は知っていた。
「ジャパンはオーストラリアの上にあるんだよ。」
「あぁ、オーストラリアなんだぁ!」
ニコニコ笑顔で話していたけど
私の両手は空いたままだった。
アフリカ・某国でのアジア人差別が超絶ヒドくて最悪を越える最悪だった!
と誰かに聞いた話が頭を過ぎった。
まさかね・・・。
そう思いながらも
無邪気な子供にすら距離を取ってしまう。
村への道の途中に水場があった。
次から次に大きなバケツと共に人が現れる様子から
この地域の人々にとって
ものすごく大切な場所だってことが分かる。
「これはカナダからのプレゼントなんだ!」
ガイドは嬉しそうに言った。
ツアー仲間のカナダ人も嬉しそうに笑った。
「これのおかげで私たちはとても助かっているのよ!」と
カナダ人に感謝の気持ちを伝える村人たち。
老婆はカナダ人の手を取って今にも泣きそうな勢いで
何度も感謝の言葉を口にした。
赤ちゃんを背負った母親は
散り散りになっていた自分の子供たちを全員呼び寄せて
カナダ人に感謝の言葉を言わせた。
子供たちが身に着けている物から
ここに住む人たちがどのくらい貧しいのかは
十分伝わってきてた。
教科書やニュースで取り上げられるほどではないけど
日本じゃなかなか考えられないレベルだと思った。
途上国ではけっこう見かける感じといえば分かりやすいかな?
でも
不思議なことに
今まで出会ってきた貧困に直面している人から感じた
必死さとか卑しさ、悲しさ、怒りや嫉妬といったものを
ここの人たちからは一切感じられない。
むしろ楽しそうで
毎日が幸せで仕方ないって感じがした。
「ぷにょさんはこれが本当の彼らだと思う?」
そこそこ旅の経験があるイギリス人が私に言った。
「どういう意味??」と聞いた私に
彼は一方的に話した。
「ガイドはしきりに『ここは生活が苦しい地域だ』と訴えてくるのに、
物乞いはいないし、小さな子供すら何もねだってこない。
僕たちツアー客は現地の人に物やお金をあげることは禁止されてるけど、最後に寄付の機会が設けられてる。
つまり、僕たちを接待して楽しませて最後に寄付をしてもらおうって魂胆がさ・・・。
だったら最初っから思いっきり物乞いしてきてほしいし、子供にもオモチャに群がってほしい。
ある意味それを見るために僕はこのツアーに参加したんだから。」
聞きたくなかったって気持ちと
思わず納得させられかけた部分があって
頭の中が軽くパニックを起こした。
「こんなにしょっちゅうツーリストが押しかけて、その裕福な様子を見せつけられて、負の感情が湧き起こらないようにするのはとても大変なこと。」
知らないほうが幸せなこともあると彼は言った。
知ってしまって余計な感情や欲が出来てしまうのが人間だと。
じゃあ、生まれながらにして『豊か』を知ってる私たち先進国の人間は幸せなの?不幸なの?
って思ったけど
聞かなかった。
つづきます。
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