風姿花伝で世阿弥はこう記しています

新人の頃
時代の名人を相手にしても、新人の珍しさから勝つことさえある。新しいものは新鮮に映り、それだけで世間にもてはやされるのです。

これを世阿弥は「あさましきこと」と切り捨てています。

若手の花は「時分の花」であり「まことの花」ではないと

では「まことの花」とは何か

世阿弥は34-35歳の頃までに初心を忘れず稽古を続けた者が、まことの花を持つと記しています。

当時の34-35歳ですから現代とは少し年代幅は変わると思います。現代で言うと中年でしょうか。
ちょうど僕位の年代でしょう


まことの花 とは = 華 = 色気とも言いかえることができるかもしれない

そう思います。



例えばファッション
色気を出したい、モテたいがために胸元をあけ、髪を染め(または韓国男子ヘアにし) 胸にネックレス(または上から下までファッション雑誌そのまま草食系)
 電車で大股びらき
女子の視線を気にしてチラチラしていて、いったいどこに「色気」があるでしょうか



ファッションについて一家言あるわけではありません。
ファッションに関しては僕は「もっと頑張りましょう」マークです。


絵の話です。

絵に色気をもたせること。
これは若手の時に絵が売れたことに過信せずにコツコツと日々の稽古を重ねたものが得られるものと
僕は解釈します。


画面上でもそうです。
色気をだそうと小手先でバイオレットやスカーレットをグレースするだけでは
表面的には色気が出ているように見えるでしょうけれど本質的に違います。

所作
パレット
筆のメンテナンス
絵の具の調色 色相 トーン 調和
デッサン
構図
メンタル

こういったものが積み重なって、はじめて作品に色気が出るのではないでしょうか。

色気を出すために色気をだそうとしない
これが真理だと思います。


「秘すれば花」とあるように
色気とは、
作品とは、自分の人生観や日々の生活、日々の稽古が滲み出るものなのでしょう。

さて
明日からまた、日々の稽古とメンタルトレーニングです。
今日と同じ 昨日と同じ
稽古 メンタル 
でも一カ月前の作品を見たら恥ずかしい
そう 少しずつ 少しずつ変化していこうと思います

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