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私が悩んでいたこと
「男性に頼れない」問題。
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私が抱えてた悩みの1つ
頼れないし
異性と張り合ってしまう。
心のどこかで
負けたくない!と
ライバル視しているところがあった。
私にとって
頼ることや弱音を吐くことって
負けることで
ダメなものっていう意識が
ものすごく強くあったな。
当然、自分から好意を示すことも
下に見られるのではないか
好きと言ったら、
自分が優位に立てないのでは?
という気持ちもあった。
ここまで書いてみて
ヒエラルキーな意識や
勝ち負け思考がすごくある学生時代と
20代を過ごしたことが
よくわかる。
私の父は
躾に厳しくて
どんなにいい成績をとったとしても
何かで賞状をもらったとしても
手放しでほめるような
人ではなかった。
小学校で行われる
なわとび検定の話。
私は、運動は比較的得意な
ほうで、好きでもあった。
特に縄跳びは、やればやるほど
成果がでたので、面白かった。
新しい技を覚え
長くとび続けられるように
毎日毎日必死に練習した。
そして、ついに念願の1級を獲得した。
ミニ賞状ももらった。
当然ほめてもらえると思って
その報告を父にすると
「〇〇ちゃんのほうが、
すごいでしょ」
娘である私の努力や成果など
全く気にも留めずに
開口一番
他の子と比較したのだ。
言葉が出なかった。
悲しかった。
ただただ、悲しかった。
あんなに努力したのに。
やるせない気持ちと
言い返せない苦しみが
ずっと胸に残っていた。
というように
私の父は、ほめるよりも
他の子と比較することで
「なにくそー」という反骨精神を
育てる教育方針だった。
なわとびに限らず
部活でも受験でも
あらゆる場面でそうだった。
その当時は
その教育方針に抗えずにいたけれど
大学生で一人暮らしを
するようになって
はじめて俯瞰してみれるようになった。
すごく認めてほしかったんだなって
両親に喜んでもらいたかったのだ
そんな健気な自分に気がつくことができて
そして、両親自体が育ってきた
環境や時代背景にまで
想いを馳せられるようになってはじめて
その呪縛から
とけたような気がした。
自分の傾向として
完璧主義だし
負けず嫌いだし
反骨精神でどこまでも
頑張れてしまうし
課題解決能力は
ものすごく高くなっていた。
学級委員やリーダーを任されることも
多かったので
一人でなんとかしなきゃ
私が先頭にたって頑張らなきゃ
という思い込みのもと
とにかく必死だったのだ。
それは、仕事をする上では
めちゃくちゃ役立って
信頼というお金では得難いものを
周囲の人から寄せてもらえた。
一方恋愛面では
めちゃくちゃガードの堅い女性と
なってしまったのだ。
このように、恋愛の悩みや現実の問題に
直面するにあたって
過去の環境や両親の教育方針が
大いに影響する。
過去は変えられないけれど
価値観や生き方は選び直せる。
これは、自分自身の経験から
強く思うことです。
両親を責めたい時もあった。
もっと認めてほかった
応援してほしかった
そういう純粋な気持ちに
向き合いながら
過去の自分を癒して
少しずつ
少しずつ
自分が望む方向に舵を
とることができた私。
頼ること=悪、負け
という価値観を手放して
頼ることの心地よさを
自分自身にたくさんプレゼントしたよ。
夫と出会った時も
職場では、相変わらず
孤軍奮闘、全て一人で
がむしゃらに頑張っていたけれど
夫が次のデートのことを
提案してくれたり
お店を予約してくれたり
本当にささいなことだけど
すごく嬉しかった♡
私のこと
大切に思ってくれているんだな
ということが伝わって。
エスコートしてもらえる
心地よさに胸がときめいた私もいた。
頼ってもいいんだ
お任せしてもいいんだ
そんな体験をちょっとずつ
積み重ねていった。
夫の前だったら
自然にゆるめている私もいた。
これからは、一人で
全てを解決しなくてもいいんだ
という安心感が
じんわり拡がっていきました。
自立したカッコいい女性に
なることに必死だったけど
私が目指したい姿は
違ったんだなって
気づいた瞬間でもあった。
キリッとしていて
凛としている
そんなイメージよりも
ゆったりしていて
あたたかい
ほのぼの
というものを
求めていたのだろうなって思う。
守ってあげたい女性とは
程遠かった私だけど
別に守ってほしいとか
今でも思っていないけれど
守られている
大切にしてもらえる感覚
痛みも苦しみも
喜びも悲しみも
わかち合えるパートナーがいる
ということは
人生にとっての
かけがけのない贈り物だと
本当に思う。
あなたもそんな世界で生きよ💕
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@haru_spring23