私にとって、とても大きな意味を持った三日間でした。


8月4日(月)

 三重県教育文化会館を出発し、車中にて一人5羽の折り鶴を作りました。平和への想いを込めて。その折り鶴は、教師と子どもの像に献納しました。

核兵器廃絶2008平和ヒロシマ大会:参加者6500名  全国の人々が平和の願いを込めて作った折り鶴を献納しました。病床で『病気が治りますように』という想いを込めて折り鶴を作った、という佐々木禎子さんの想いを受け継ぎ、たくさんの折り鶴が献納されました。一人ひとりが願いを込めて作ったものでしょう。  

一人ひとりの平和への願いが一つになり、一日も早く平和な世界となることを切に願います。参加した全員で、四度の鐘の音とともに、黙祷を捧げました。



 8月5日(火)

 平和記念公園で広島県教職員組合の林さんから話を伺い、フィールドワークを行いました。  広島平和記念公園の中には、大小さまざまな慰霊碑が60近くもあります。その中でも、2つの慰霊碑に対して、強い想いを感じました。


 一つが、『原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑』(教師と子どもの像)です。この像には、正田篠枝さんの

「太き骨は先生ならむ そのそばに ちいさきあたまの骨 あつまれり」という歌が刻まれています。

 もし、私がこの教師と同じ立場だったら子どもたちを守れるのだろうか、という気持ちがよぎりました。


 もう一つは、『原爆の子の像』(折り鶴の少女像)です。 この像は、2歳の時に被爆し、12歳という若さで白血病により亡くなられた佐々木禎子さんをモデルに作られています。 この像の周りには、いつもたくさんの千羽鶴が献納されています。その千羽鶴は、『ヒロシマの悲劇を繰り返すな』という強いメッセージを載せて、世界中から寄せられたものです。

  今回の広島平和行動へ参加することに決めてから、子どもたちと一緒に折り鶴をたくさん折りました。 千羽を目指してひたすら折るのではなく、『一人ひとりの想いを届けよう』という気持ちで折りました。折り紙を裏返し、その白い部分に一人ひとりの平和への想いを記しながら。



 8月6日(水)

  この日の広島は、朝から雲一つなく、とても暑い日でした。63年前の今日も、きっと暑い日だったのでしょう。 平和記念公園へ入ると、様々な団体が、様々な想いを持ってビラを配ったり、拡声器で演説したりしていました。また、たくさんの警官も居り、物々しい雰囲気も醸し出していました。それぞれが、平和への気持ちを持って行動していたのでしょう。


  午前8時15分―――。原子爆弾が投下された時刻を迎え、七度の鐘の音とともに、黙祷。 その場に集った4万5000人の人々の気持ちを一つにし、平和への祈りと、犠牲者への哀悼の誠を捧げました。

  秋葉忠利広島市長の平和宣言の中に、『目指すべき方向と道筋が明らかになった今、必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力です。』という言葉がありました。

 二度と戦争の惨禍を繰り返さないよう、後生へ遺していくことは、私たち教職員に課せられた使命であるということを再確認しました。




 世界の恒久平和の実現―――。声に出して言うことはとても簡単ですが、それを実現することはとても難しいことです。 私たち一人ひとりは微力ですが、無力ではありません。一人ひとりが戦争の悲惨さや原子爆弾の惨状を知り、後生へと伝えていくことが大切です。


『教え子を再び戦場へ送るな』

『安らかに眠って下さい  過ちは繰り返しませぬから』