コロナな日々198~丸岡城と一乗谷朝倉氏遺跡と東尋坊

 

2024年3月○日(○)~○日(○)

 

現存12天守のうち、まだ訪れたことのない丸岡城を攻め落とすべく、福井に行くことにする。娘の三学期終業式が終わった後、12時半頃、クルマで出発。

 

平日なのだけれど、名神高速・天王山トンネル左ルート(京滋バイパス、京都縦貫道方面行)が渋滞しており、大津SA辺りまでは、それなりにクルマが詰まっている。多賀SA(滋賀県犬上郡多賀町)で休憩1回目。このSAでランチにしようか迷ったのだけれど、ここの上りSA(名古屋・金沢方面行)にはコンビニがないため(高架橋を渡って、下りSAに行けば、ファミマがある)、売店を見て、トイレだけ済ます。

 

米原JCTから北陸自動車道に入る。娘が幼稚園から小学3年までは毎夏、片山津温泉(石川県加賀市)のホテルに泊まり、加賀市の海水浴場で泳いでいたので、4年半ぶりの北陸自動車道ということになる。

 

南条SA(福井県南条郡南越前町)で休憩2回目&車中ランチ。SA併設のファミマで購入した「サラダチキンのサラダ」(218円が20円エコ割)、「焙煎ごまドレッシング」(28円)、「たんぱく質16.3g チキンチーズロール」(250円程度)。いつも購入する豚汁などの汁物が全くなく(15時前という時間帯のせいだろう)、サラダチキンバーを買ってみたのだけれど、それなりに美味しかった。

 

南条SA付近の山々は薄っすら雪をかぶっている。山々は滋賀県から雪化粧していた。滋賀は近畿地方だけれど、湖北・湖西は北陸地方が入っているし、湖東は東海地方が入っていると、今回改めて感じた。

 

SA内にあった「恐竜王国福井」。頭部が動いて、咆哮する。こういうのは、4年半前まではなかったはず。近年、福井県は東尋坊ではなく、恐竜推しである。

 

17時前、東尋坊(福井県坂井市三国町)に到着。30歳頃に一度訪れたことがあるので、約25年ぶり、2度目の訪問となる。

 

ウィキペディアによると、「日本海に面した海食崖で、険しい岩壁が続き、最も高い場所で約25mの垂直の崖がある。東尋坊を構成する岩は、輝石安山岩の柱状節理(ちゅうじょうせつり)で、これほどの規模を持つものは世界に3ヶ所だけであり(自分注:残り2ヵ所は朝鮮半島の金剛山とスカンジナビアのノルウェー西海岸)、地質上極めて貴重とされ、国の天然記念物および名勝に指定されている。観光地として開発されており、遊歩道や遊覧船、展望用のタワーや商店街などもある」。

 

その名称の由来は、平安時代末期、乱暴狼藉の限りを尽くし、恋愛関係などでも恨みを買って、この断崖から突き落とされて殺された平泉寺(福井県勝山市)の僧「東尋坊」によるということは、今回初めて知った。

 

自分は高所恐怖症気味なので、こういうところに来ると、足がすくんで、寒気がして、動けなくなってしまう。

 

おっと、この風景は、入眠直前や寝起きに時々、頭に浮かぶものである。日本海のどこかだと思っていたけれど、東尋坊だったのか。よく考えると、こういう風景はここぐらいしかないので、当然だったか。

 

 

17時50分。陽が沈み始める。

 

本日の宿泊先は「大江戸温泉物語 あわら」(福井県あわら市)。大江戸温泉物語グループのホテルに宿泊するのは初めて。ホテルに到着したのが18時半過ぎのため、夕食は19時~(90分バイキング)しかなく、朝食は7時~か7時15分~(60分バイキング)しかないとのことで、7時15分開始を選択。明朝は、自分に似て宵っ張りの朝寝坊である娘を叩き起こすしかあるまい。

 

夕食バイキング1膳目。紅ずわい蟹またはトゲずわい蟹の脚と爪(3月31日までカニ食べ放題だった)。サーロインステーキ×2皿(ライブメニュー)、アスパラガスと根菜と豆のサラダ、鶏肝煮、ミートローフ風鶏つくね(限定メニュー)、小籠包、コーンコロッケ、ソースかつ(ご当地メニュー。ソースカツ丼は福井名物)、サーモン刺身、鮪刺身、鰹のたたき、甘海老刺身、エビの天ぷら、筍の天ぷら。

 

カニは身を取り出さなければならないので、食べづらい。妻も娘もカニは食べないので、食べるのは自分のみ(笑)。サーロインステーキが「調味牛脂を注入した加工肉」(Webサイトにちゃんと書いてあり、好感が持てる)ながら、それなりに美味しい。

 

2膳目。ビーフカレー、酢豚、茶碗蒸し、スパイシーポーク(限定メニュー)、ハンバーグ、真薯(しんじょ)、鰆の天ぷら チリソース添え、焼き〆鯖握り、イカ握り、焼き鯖棒寿司(ご当地メニュー)、焼きサーモン握り、上海焼きそば、おろしそば(ご当地メニュー)、麻婆豆腐、福井県産厚揚げと菜の花の中華煮風うま煮(ご当地メニュー。厚揚げは福井名物。しかし、厚揚げは取られてしまい、全く残っていなかった)。意外に酢豚が美味しかった。

 

3膳目はデザート。ソフトクリーム ブルーベリーソースがけ、ミニケーキ3種(チーズケーキ、ガトーショコラ、クリーム)、オレンジ、パインアップル、ミルクプリン、ぶどうゼリー。和・洋・中華メニューはカニ、ステーキ、刺身、寿司、小籠包など、種類も豊富だったけれど、デザートの種類が少ないか。

 

露天風呂へ。露天はやっぱ良い。風に吹かれ、明かりに照らされた木々の緑を目にし、岩風呂につかりながら、来て良かったと、しみじみ思う。入浴後、福井県はテレ東系のTV局がなく、「ワールドビジネスサテライト」が観られないので、テレ朝系「報道ステーション」をチラ見しながら、早々に眠りに就く。

 

6時50分に娘を叩き起こし、7時15分から朝食バイキング。さあ、食べるぞ。普段の休日や在宅勤務時は、朝食は食べず、「16時間プチ断食ダイエット」を実践しているのだけれど、旅先では限界まで食べる(笑)。

 

1膳目。湯豆腐、ミニキュウリの味噌漬、昆布の佃煮、温泉玉子、シュウマイ、出汁巻き玉子、コロッケ、焼き鯖、焼き鮭、小芋煮、切り干し大根、ソーセージ、スクランブルエッグ、名物「のっけ丼」(自分で作る海鮮丼)の具材(貝柱、カニ加工品、明太子、サーモン、鮪、小海老)、味付け海苔、もずく、納豆。「のっけ丼」の具材は、用意されていた丼のタレをかけてみたのだけど、せっかくの海鮮が甘ったるくなってしまう。かけない方が良かったか。貝柱と小海老が美味しい。明太子は塩辛過ぎ。明太子って、こんなに塩辛かった?

 

2膳目。きつねうどん(自分で作る)、カレー、スパゲッティナポリタン、薩摩揚げ、笹かまぼこ(ご当地メニュー。福井県敦賀市がかまぼこ発祥の地といわれる)、チキンナゲット、ハッシュドポテト、キュウリ 人参ドレッシングがけ、ミニトマト、「のっけ丼」の具材(サーモン、カニ加工品、小海老、鮪、貝柱、イカ)。「のっけ丼」の具材には、タレはかけず、ワサビ醤油でいただいた。こちらの方が好み。やっぱ貝柱は旨い。

 

3膳目。デザート。ヨーグルト ストロベリーソースがけ、コーヒーゼリー&みつ豆、オレンジ、パインアップル、エクレア、ピンクグレープフルーツ、ミニケーキ2種、ブラックコーヒー。エクレアが旨い。

 

4膳目。ラスト。昨夜の夕食時にはなかったアイスが朝食にはあったので、食べる。バニラとチョコ。

 

ホテルを出て、丸岡城(福井県坂井市丸岡町)へ。現存12天守(弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知)の一つで、天守は重文。1576年(天正4年)に、柴田勝家の甥の柴田勝豊により築城された。

 

以前は国宝だったものの(現在は国宝五城<松本、犬山、彦根、姫路、松江>)、1948年(昭和23年)の福井地震により倒壊。現在の天守は、1955年(昭和30年)に倒壊材を元通りに組み直して修復されたものである。

 

独立式望楼型2重3階。小高い丘陵に築かれた平山城であるものの、天守入口に至る階段は急で長い。

 

天守1階は、例によって暗いけれど、記念撮影用のパネルが設置されている。本多成重とその父である本多重次のキャラクター・イラスト。本多成重は、初代丸岡藩主をつとめた第6代丸岡城主。その父である本多重次は、徳川家康に仕えた戦国武将で、1575年(天正3年)の長篠の戦いの陣中から妻宛に書いた手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」が日本一短い手紙として有名。この「お仙」が長男の仙千代、後の本多成重である。

 

天守2階。完全木造。内部はそれほど広くはない。

 

2階から3階への階段。階段というより、ほぼ梯子状態。角度が急なため、手すりの他に、登り縄(ロープ)が備え付けられている。長さが短いのが救い。

 

天守3階。当日は強い風雨のため、南側と東側の扉は閉ざされている。

 

天守3階より北方を望む。手前は坂井市立平章小学校。その源流は、旧丸岡藩の藩校・平章館だという。

 

天守3階より西方を望む。写真一番奥の中央から右手にかけて、この1週間前に開通したばかりの北陸新幹線高架橋が写っている。

 

天守近くに「お静慰霊碑」なるものがあった(写真は撮っていない)。ウィキペディアによると、「柴田勝豊が丸岡城を築城する際、天守台の石垣が何度も崩れて工事が進行しなかったため、人柱を立てることとなった。城下に住む貧しい片目の未亡人「お静」は、息子を士分に取り立てる事を条件に人柱となる事を申し出た。その願いは受け入れられ、お静は人柱となって土中に埋められ、天守の工事は無事完了した。しかし、柴田勝豊はほどなく移封となり、息子を士分にする約束は果たされなかった。それを怨んだお静の霊が大蛇となって暴れ回ったという」。「代々の城主が改易や厳封(自分注:「減封」の変換ミス?)されたのはお静の祟りとも言われた」。マジか…。

 

北陸自動車道にのり、「一乗谷朝倉氏遺跡」(福井市)に移動。まずは2022年10月にオープンした「福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館」へ。真新しい立派な博物館で、遺跡からの豊富な出土品を元に、当時のさまざまな職業の人々の暮らしぶりを詳細に伝える展示のほか、朝倉当主の館の一部が原寸で再現されている。

 

博物館を出て、クルマで「一乗谷朝倉氏遺跡」へ。以下、ウィキペディアから引用する。

 

「戦国時代に一乗谷城を中心に越前国を支配した戦国大名朝倉氏の遺跡。一乗谷城(山城)と山麓の城下町(朝倉氏および家臣の居館)からなる。遺跡全体(面積278ヘクタール)が国の特別史跡で、そのうち4つの日本庭園は一乗谷朝倉氏庭園の名称で国の特別名勝の指定を受けている」。

 

(なお、遺跡からの出土品は重文で、国の三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)を受けているのは、この一乗谷朝倉氏遺跡のほか、京都の金閣寺、銀閣寺、醍醐寺三宝院、奈良の平城宮、広島の厳島神社の計6ヵ所しかない)。

 

「一乗谷は東、西、南を山に囲まれ、北には足羽川が流れる天然の要害で、南北に城戸を設け、その間の長さ約1.7キロメートルの「城戸ノ内」に、朝倉館(武家屋敷)をはじめ、侍屋敷、寺院、職人や商人の町屋が計画的に整備された道路の両面に立ち並び、日本有数の城下町の主要部を形成していた。周辺の山峰には城砦や見張台が築かれ、地域全体が広大な要塞群であった」。

 

「応仁の乱により荒廃した京から、多くの公家や高僧、文人、学者たちが避難してきたため一乗谷は飛躍的に発展し、華やかな京文化が開花した。このため北ノ京とも呼ばれた。戦国4代朝倉孝景の頃から全盛期を迎え、最盛期には人口1万人を超え、越前の中心地として栄えていた」。

 

「1567年(永禄10年)11月21日には戦国5代朝倉義景が足利義昭(1568年(永禄11年)4月一乗谷で義昭に改名)を安養寺に迎える。義景は義昭を歓待するが、同年7月24日、義昭は上洛を果たすため織田信長を頼って美濃国に出国する。1573年(天正元年)8月16日、刀禰坂の戦いに大敗した義景は一乗谷を放棄し大野へ逃れる。翌日、信長の軍勢によって火を放たれ一乗谷は灰燼に帰した」。

 

「信長が一揆を平定した後、越前八郡を与えられた柴田勝家は本拠を水運・陸運に便利な北ノ庄に構えたため、辺境となった一乗谷は田畑の下に埋もれていった。優れた造りの庭園も堆積する土砂に埋もれたが、1967年(昭和42年)に発掘が開始され注目されるようになった」。

 

唐門。「一乗谷朝倉氏遺跡」というと、ガイドブックやWebサイトに必ず写真が掲載されている。ウィキペディアによると、「朝倉館跡正面の堀に面して建つ、幅2.3メートルの唐破風造り屋根の門(向唐門)。朝倉氏の遺構ではなく、のちに建てられていた松雲院の寺門として朝倉義景の菩提を弔うために作られたと伝わる。門表には朝倉家の三ッ木瓜の紋が刻まれている。現存するものは江戸時代中期頃に再建されたものである」。

 

朝倉館跡。隅には、朝倉義景のお墓もあった(写真は撮っていない)。

 

復原町並。「1995年(平成7年)には発掘結果や史料等を参考に200メートルにわたって当時の町並みが復元され、復原町並として公開されている。原寸大の立体模型は日本初である」(ウィキペディア)。

 

なお、この遺跡は、2010年~2014年に放映されたソフトバンクのCM「お父さん犬シリーズ」のロケ地として何度か使用されたようだ。しかし、当時は娘が幼稚園入学以前で、子育てと仕事に追われていたため、残念ながらCMの記憶が全くない。

 

一乗谷朝倉氏遺跡を後にし、極めて遅いランチはココス西方店(福井市)。

 

ガストや和食さとと同じく、配膳ロボットがメニューを運んでくる。

 

「ピッツァ クワトロフォルマッジ」(税込539円)と「カリカリポテト」(495円)。主に娘が食べ、自分と妻に少し分けてくれる。

 

「ココスのハンバーグボロネーゼ」(1,089円)。パスタは娘と自分、ハンバーグは娘、温玉は妻がそれぞれ食べる。

 

「シェアサイズ チキンとナッツの11種野菜サラダ」(869円)。主に自分が食べ、1/3程度を妻に分けた。意外に美味しい。

 

「ココスのハンバーグダブル」(1,089円)。主に自分が食べ、チーズハンバーグ半分を妻に分けた。

 

「魚介とかぼちゃのあふれクリームドリア」(1,089円)。妻が食べた。

 

今回の福井旅は、丸岡城が小ぢんまりしていて良かった。また、一乗谷朝倉氏遺跡は、真新しい博物館の展示が豊富で、見ごたえがあった。次の現存天守攻めは、今夏、松本城の予定で、すでに松本市内のホテルを予約済みである。