こんにちは。
未来書き換え自分年表作成講座認定講師で
ストーリーデザイナーの藤井奈津子です。



突然ですが、皆さんは
「あの決断が人生の転機だった」
と思えるような出来事はありますか?
ㅤㅤ
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私は東京から富山に移住して
5年目になりますが
まさに、この移住が転機で
ここから自分の人生を
歩き出せたように感じています。
ということで今日は
私が自分の人生を手に入れる
決断した人生の転機について
お伝えしてみようと思います。
自分の人生こんなもんじゃない!
私らしい生き方って何?
と思っている方に
最後まで読んで頂けたら幸いです✨



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私は大学卒業後、
南青山のアパレルメーカーの
営業部で働いていました。
南青山の一等地っていう
もの凄い華やかな立地でしたが
仕事に華やかさはなく
終電ギリギリまで残業・・・ㅤ
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同期が体調を崩し異動する中
頑丈な私だけ残り
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たまの飲み会で
表参道、六本木、新橋で
ひたすら飲んで食べること
だけが喜びで
上司や先輩に恵まれたおかげで
「このチームのためにやる!」
と思って続けられました。
ただ、そんな私の働き方に
変化が起こったのが
富山に住む主人と結婚してから。
東京で出会った私たちでしたが
主人は突然
「1年だけ富山に行ってくる」
と言い残し就職すると
1年後に帰ってくるどころか
会社の社長になっていて帰らず
2年後にまた
「東京に帰る」と言うので
結婚したものの
その後7年間、帰ることなく
東京と富山で別居の週末婚に。
〝帰る帰る詐欺〟だな💥
ㅤㅤ
新幹線もない頃
夜行バスや特急の乗り継ぎで
帰ってきても疲れて寝てばかり。
また、私もワンオペ育児で
仕事と育児の両立はきつくて
子どもの病気で休むたびに
会社の居場所を無くしていったんです。
ただ、そんな状態でも
私には会社を辞めたり
富山に行く選択肢はなく
むしろ
「富山にだけは絶対行かない!
 東京でキラキラしてたい!
 早く東京に帰ってきなさいよ!」
とケンカばかり💥
大学も会社も住む場所も
定年までは働くことも
親が決めたレールに従って
慎重に生きてきた私にとっては
結婚しても
今の生活を変えるなんて
受け入れられなかったんです。



しかし、
週末婚の別居生活も
6年半のある時、
「会社もようやく軌道に乗った。
 でも、あと一歩が越えられない。
 富山にきて俺のことを支えてほしい」
という主人の言葉に
私は目が覚めたようで
今までのワンオペ育児の
異常さに気づき
「私たち親のせいで、長女は
 パパと生活しないまま小学生になる。
 こんな生活、おかしかった・・・」
そして
ㅤ東京で得ていたものや
キラキラした生活を
全てを手放して
富山への移住を
決意したんです。



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と、このような私の
移住エピソードですが
もちろん、移住の決断は
親が敷いてくれたレールを
はじめて外れる出来事で
私にとって
未知の世界である
富山へ向かうことは
もの凄く怖かったんだけど
今となっては
「あの時の決断があったから
 今の幸せがある!」
と思えているし
「あの時のまま東京で暮らしていたら
 今もワンオペ育児してる?」
ㅤㅤ
と思うと
怖くて仕方ないですね。
ただ、私がもっとずっと強かったら
結婚と同時に富山にきて
家族で暮らすという選択肢も
持てたのかもしれない・・・
と思うし、
主人に娘たちの成長を見せて
あげられなかったことは
申し訳なく思っています。
最近の我が家は
毎日娘たちの習い事の
送迎をしていて
ㅤㅤ
子どもたちの成長につれて
生活の変化があるの
当然だと思っても
振り回されてばかりで
週末ものんびり過ごせない。
でも、
私たち家族はいつも
どこ行くのも一緒で
しゃべって笑って
長い間、離れ離れだった
私たちだからこそ
一緒にいることは
幸せだと感じられる。
あの決断でこの幸せを掴めたよ!
これは私に起きたことですが

・今の決断を人生の転機にしたい!ㅤ
・自分の人生こんなもんじゃない!
・自分らしい生き方って何だろう?
・幸せを感じにくい
という人はㅤ
以前の私のように
親に敷かれた安全なレールに
すでに物足りなさを感じている
のかもしれません。ㅤ
「私は今を人生の転機にしたい!」
という人がいれば、
ぜひメッセージくださいね。
1人でも多くの方が
自分で決断しあ人生を歩まれることを
願っています。



 
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