こんにちは。
未来書き換え自分年表作成講座認定講師で
ストーリーデザイナーの藤井奈津子です。



今日で4日目の投稿ですが
「毎日投稿しよう!」
と決めると、頭の中の半分くらいが
投稿の内容を何にしようかと
考えている私がいます。笑
“自分の言葉を外に出す”
ということは
とっても楽しいですね。
さて、今朝は
次女の学校行事「スケート教室」
のボランティアに行ってきました。
朝から寒いスケート場で
サポート&見守るだけでしたが
子どもたちの成長を感じながら
その後、いつものカフェに
出勤したんですが
一杯目のコーヒーを頂きながら
“ふと”
私の一回目の流産が確定した日の
出来事を思い出されたんですね。
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娘たちが午前中で下校予定の日、
私は午前中からの検診へ。
しかし、
思いがけず流産がわかると
私は正気ではいられなり
病院からの帰り道ずっと
嗚咽交じりで泣いていたんです。
悲しいとか悔しいとか
そんな感情ではなく
何が起こったのか、
何の罰なのかわからない。
とにかく自分の中から赤ちゃんが
いなくなったという事実を
受け止められなかった。



帰ってきた娘たちは
泣きじゃくる私に驚き、励まし、共に泣き、
「大丈夫だよ。私がいるよ。」と
背中をさすりながら
抱きしめてくれていたんです。
1時間ほど泣き続けると
“ふと”
「子どものが生まれるって当たり前じゃない。
子どもが生まれるって奇跡の連続なんだな。

あれ?だったら
この子たちが生まれてるって奇跡なんじゃない?

ということは、私はすでに
2人の宝物を手にしていたってことだ!」
と勝手に思考が展開し
子をなくした絶望より
すでにあった希望に満たされ
「ごめん、私泣きすぎた!
2人とも生まれてきてくれてありがとう!
私たちはこれからも生きていく。
だから、おなか一杯食べに行こう!!」
と回転ずしに行ったんです。
3人で泣きはらした目を
パッチリ開いて歌いながら。
自分でも
こんな気持ちの変化に驚いたけど
なくした絶望で日常を壊す前に
今ある幸せに気付けて
本当によかったです。
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と、ここまでが
私の1回目の流産記録で
「願いが叶わなかったけど、
ずっと幸せだったことに気づけた」
という自分なりの
教訓を得られたんですね。
ただ、今日。
私がコーヒーを頂きながら“ふと”
気づいたことはもっと先のこと。
いや、もっと本質的で当たり前のこと。
奇跡の子は娘たちだけじゃなくて
「私もまた、奇跡の子だった」
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命は繋がっていて
娘たちが生まれたことが
私にとって奇跡なら
私が生まれたこともまた
両親や祖父母にとって奇跡だったのだろう
と思えちゃったんですね。
気づいた時、めっちゃ嬉しかったし
私すごい!!って大興奮♪



こういうことって
当たり前すぎて
口に出して言う人って
あまりいないと思うけど
私は個人的に
日常的に口に出していいこと
だと思っていたりするかな。
大人や親になると
日々の生活に追われて
子どもが生まれたことが奇跡とか
ましてや
健康に不安がなかった自分が
生まれたことが奇跡だと思うような
日々の余裕ってないと思う
ある意味、私が
ひたすら妄想・内観、
変性意識状態が大好きな
浮世離れ状態だから
こんなことを思うんだろうけど
でも、今日みんなに声に出して
言ってみてもらいたい。
「私もまた、奇跡の子だった」と。
どうぞにやけてくださいね。
そして、きっとこっそりブログを読んでる
お父さんとお母さんへ
私を産んでくれてありがとう。
この世界のコーヒーは美味しくて
毎日幸せです。



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それでは、奇跡の皆さま
ごきげんよう。
また明日♡