(講談社、2003・3)。
ひろ さちや氏の評価は(インターネットその他で)色々あるようですが、それは置いていおいて、この本の感想。
一番びっくりしたのは、筆者が原始仏教に対しておそろしく批判的なことです。
仏教学上、(初期仏教ではなく)原始仏教の内容がどの程度分かっているのかという大問題は論じません。
(私に論じる能力もありません)。
筆者が「これが原始仏教の内容だ」と認識しているものが、実際の原始仏教の内容だったとして、それを完膚なきまでに叩きのめす筆者の態度は正しいのでしょうか?
(仏教学者ではなく)仏教者として、正しいように思えません。
ブッダが説かなければ、仏教自体が存在しなかったのです。
筆者が称揚する大乗仏教も存在しませんでした。
仮に原始仏教の内容に未発達あるいは思弁的過ぎるところがあったとしても「大恩教主」であることに変わりはないと思います。
そしてそこに大乗仏教の種を見出し、一定の評価を与える心が仏教の心なのではないでしょうか?
全否定は仏教になじまない態度でしょう。
☆☆☆☆☆
話は変わって、この本で一番良かったところ。
次のような箇所があります。
じつは、仏教の教えによって、苦しみがなくなるのではありません。苦しみでなくなるのです。悲しみがなくなるのではなく、悲しみでなくなるのです。また、災難がなくなるのではなく、災難でなくなるのです。同様に、病気がなくなるのではありません。病気でなくなるのです。
上手いことを言うなあと思います。
「実体」は同じでも見えているものが違うというのでしょうか。
正見しているわけですよね。
私たちが認識しているのは、
(事実)+(評価)
であって、本当の(事実)ではありません。
「柳は緑、花は紅」の世界、「眼横鼻直」の世界ですね。
そういうことを実にうまく表現しています。
この言葉を味わって救われる人は多いのではないでしょうか?