北林透馬(1904年~1968年)は大衆作家。横浜市中区馬車道の大きな薬剤店に生まれる。中学時代、横浜市中区石川町に転居。地元を舞台にした作品を多く書く。地元が横浜居留地近辺であり、戦後は進駐軍が入ったところであり、横浜中華街がそばにある所で自然と国際的な要素、外人のいる港町的な要素が入ってくることが多い。北林透馬というペンネームは北村透谷にあやかったものである。北村透谷の妻、北村ミナは現在の横浜共立学園の出身であるが、横浜共立学園は現在は石川町駅から歩いて10分ぐらいのところにある。地元でもあるし、北林透馬はこの事を知っていたのではないだろうか。

 さて、北林透馬の『娼婦ロリ』の筋は小デュマの『椿姫』を使ったものであろうと思われる(『娼婦ロリ』の中に『椿姫』の名前が登場する)。そしてロリが心中にも使うことになる肌の色を白くする薬、飲み過ぎると死ぬ薬は大デュマの『巌窟王』によったものと思われる。『巌窟王』の主人公は長く日の当たらない牢獄にいたため、色が異様に白く、隣の牢獄にいた神父から分量によって一時的に仮死状態になり、飲み過ぎると死んでしまう薬の製法を教わっている。要するにこの作品はデュマ親子二代の作品によってできた大衆小説といえよう。

 因みにこの作品の舞台も横浜である。作者は横浜を実にうまく描いており、同氏の『街の国際娘』には「早い朝の横浜山手の風景は、何時も硝子のやうに新鮮です。ブラフと呼ばれてゐる山手の丘からは、うつすり霞に包まれた街がひと眼に見おろせて、ずうつと向うの方にぼんやり海がミルク色に鈍く光つてゐる風景は、へんに新鮮な美しさを持つてゐます。フエリス女学校横のフエリス坂を駈けおりると、本牧のはうから来る電車が、トンネルを通つて、ごほつと大きくキシリながら走つてきます。」などという文章も見られる。

 

<注>テキストは『大衆文学大系30 短篇集・下』(講談社、昭和48年10月)。