現在名、横浜共立学園中学校・高等学校というプロテスタントの私学があります。

 

校名は何度か変わっており、簡単に書くと、亜米利加婦人教授所、日本婦女英学校、共立女学校、横浜共立学園となります。

 

その間、女子神学校を併設している時代もありました。

 

明治四年の創立です(共立女子大とは無関係)。

 

 さて、表題の三人の奥さんは、この学校の出身者です。

 

 明治時代、時代を超えた評論家として活躍した北村透谷は、

 

共立出身の石坂ミナと恋愛結婚をしました(当時としては珍しい)。

 

しかし、透谷は明治二十七年、二十五歳で死去。

 

北村ミナは、アメリカに渡りました。

 

明治時代にすごい英語力ですね。

 

(立教大学の学会誌に詳しい論文が出ていますが、今覚えていません)。

 

 内村鑑三は四回結婚していますが、

 

最初に結婚した浅井タケが共立の出身です。

 

内村鑑三は非常に個性の強い人だったようで、

 

長男の内村裕之は、自分の父親は何故これ程感情の起伏が激しいのだろうと疑問に思い、

 

精神医学の道を志し、後に東大医学部教授になっています

 

(いわゆる東京裁判で、大川周明の発狂が本物かどうかを鑑定したのは、この人です)。

 

浅井タケも聡明ではっきりした人だったようで、この結婚は失敗に終わりました。

 

小原信『内村鑑三の生涯』(PHP文庫、1997年6月)に詳しいです。

 

なお、勝海舟の三男はクララというアメリカ人女性と国際結婚しており、

 

一又民子他訳『クララの明治日記』上・下(中公文庫、1996年5月、同6月)に、

 

内村鑑三と浅井タケの結婚式の様子が出てきます。

 

 賀川豊彦は何度かノーベル賞候補になったキリスト教社会運動家で、

 

アレセイア湘南中学校・高等学校(平和学園)の初代理事長でもあります。

 

横須賀生まれの鈴木ハルと結婚しますが、結婚後、

 

賀川豊彦がアメリカの神学大学に留学するのに合わせて、

 

賀川ハルは共立女子神学校で三年間、寄宿舎生活を送り、卒業しています。

 

仲の良い夫婦であったようです。

 

鍋谷由美子『賀川ハルものがたり』(日本キリスト教団出版局、2014年3月)に詳しいです。

 

この本には共立女子神学校の様子も具体的に出てきます。

 

 色々な人が意外な因縁でつながっているのが面白いし、横浜共立学園という隠れた糸が興味深いです。