教師は教え子がどのように伸びていくかに最大の楽しみを見出すもの。学校教育は序の口。卒業後も指導することになると、教師は常に学ばねばならない。「自己に与えられた生命の限りを、どこまでも生かそうすることです。卒業生の指導などということも、とくに指導してやろうというのではなくて、このような求めてやまない心のおのずからにして描く波紋のようなものでしょう。」…こんな内容です。

 

ここら辺は、教育界の巨匠大村はまと森信三の認識が大きく分かれるところだと思う。

 

大村はまは生徒を向こう岸に渡したら、自分は次に来る生徒を受け入れるだけだという立場。

教育観も大村はまは生徒に自分で生きて行く力をつけることが主眼であり、森信三は国家への貢献という要素が強い。

 

時代的にも森信三は江戸時代に教育を受けた人の活躍を実感する時期の人であり、大村はまは戦中・戦後の人である。

 

江戸時代の私塾のような教育システムではなく、現行の学校制度を前提とする限りにおいて、大村はまのような見解にならざるを得ないと私は思う。

 

森信三は小学校の教師を養成する立場にあったが、小学校に自己を極める教師がいるように中学校にも高校にも自己を極める教師がいて生徒を感化すると考えるべきであろう。

 

なお見解の段階では二人は大きく異なるが、大村はまの周りには国語教育を研究するかつての教え子のグループができて、大きな活動をした。

 

結果的に表れた現象において二人は近い。これが本物の在りようということではないだろうか。