私の人生ストーリー第60話~退院するも大量服薬し再々入院~ | うつ状態で苦しむあなたを助けたいのです!

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私が躁うつ病を発症して29年目になりますが、躁とうつの波にもまれて苦しみのどん底にいた状況から8年前にようやくうつ状態を克服し、躁うつ病を薬だけ飲んでいれば症状が出ない寛解に至りました。今度はあなたが寛解する番です。

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折角慣れた滋賀県のK病院に3か月間入院し、少しだけうつ状態が収まった時点で、退院することになりました。

 

以前にもお話しましたが、急性期の入院は基本3カ月と決まっていて、それ以上入院するにはよほどのひどい症

状があるとか、家に戻れない事情があるなどの特別な理由が必要でした。

 

ですから完全にうつ状態が治っていなくても退院させられたのでした。

 

恐らくこういう処置は、病院にとっても有益なことでした。

 

入院患者の回転率が高いほど売り上げが良くなるのは明白でした。

 

私は、この入院で同じ双極性障害の10歳年下の女性と交際を始めていました。

 

やや遠距離恋愛は、彼女の調子が不安定で、あまりうまくいきませんでした。

 

でも何回かは私が彼女の家に行ったり、彼女が私の家に来たりもしました。

 

ただ私はまだ生活保護の状態でしたし、彼女も実家から仕送りをしてもらっている関係で、頻繁にデートをするこ

とができなかったのでした。

 

その当時はまだスマホもないですから、LINEの様に無料で連絡を取り合える手段もなかったので、電話をする際

にも料金のことを気にしながら話をしなければなりませんでした。

 

そんな中でも退院して2か月後には再度うつ状態が悪化しました。

 

また希死念慮が湧いてきて仕方ありませんでした。

 

しかしもう体を切り刻むことの儚さは十分にわかっていたため、そういう行為には至りませんでした。

 

2009年8月、私は何とか今の状況から抜け出したくて、また大量服薬をしてしまいました。

たまたまその20分後に彼女から電話がありました。

 

私が胃が気持ち悪くてげっぷをしているのを聞いて、彼女が異変に気が付きました。

 

私は正直に彼女に大量服薬をしたことを告げました。

 

すると彼女は、救急車を呼ぶと言って電話を切りました。

 

20分後、本当に救急隊から電話があって、もうすぐ着くからドアの鍵を開けておいてくれと言いました。

 

救急隊が家に入ってきて、救急車に乗せられて救急隊員と一言二言話したところまでは記憶にあるのですが、

そのあとは眠ってしまったようでした。

 

起きた時には、看護師が点滴を外そうとしているときでした。

 

看護師は、もう帰っていいよと言いました。

 

家に帰るときにようやく自分が神戸中央市民病院に連れてこられたことがわかりました。

 

精算は、自分が生活保護であることを告げて、病院職員が区役所に電話で確認して終わりでした。

 

あまりにも部屋着が恥ずかしくて、電車で帰るのを諦めて、タクシーで帰りました。

 

その夜、K病院に電話をして、K医師に再度入院したい旨を伝えました。

 

今回K医師は若干困ったような口調でした。

 

前回の入院で、私に便宜を図ったことをスタッフに注意されたそうでした。

 

でも入院の手配はすると約束してくれました。

 

8月29日、私がK病院に到着して、K医師が発した言葉はこうでした。

 

「前回は本当にしんどそうだったけれど、今回はそれほどしんどそうじゃないね」

 

私は、苦笑いを浮かべるしかありませんでした。

 

こうして10回目で、しかも最後の入院が始まったのでした。

 

 

★Facebookではボランティアを名乗っているが怪しいと言われましたが、私は純粋にお金に困っていて、

うつ状態で苦しんでいる人たちのために無料でカウンセリングを行うだけなのです。

17日午後11時までが募集期間です。

http://utsujoutai.biz/

 

 

第61話に続く