日米野球「全日本・米大リーグ第1戦」に先発、2回を投げて1失点の野茂英雄投手=東京ドームで、1990年11月02日撮影
野茂の引退表明には惜しむ声と、功績をたたえる声が相次いだ。
【関連写真特集】野茂英雄の軌跡
88年ソウル五輪投手コーチの山中正竹・横浜球団常務は、大リーグで活躍していた野茂に「野球界にとって王、長嶋クラスの功労者なのだから、活躍ができなくなっても堂々と胸を張っていなさい」と声を掛けたという。引退を決めた今こそ「胸を張って欲しい」と山中さんは呼びかけた。
近鉄時代の先輩、吉井・日本ハム投手コーチは「大リーグでは引退した選手が復帰することはよくある。また復帰しちゃうかも」と話した。そのうえで「本当にやめるのなら『おめでとう』と言いたい。あれだけ成功したのだから」と、労をねぎらった。
また、近鉄時代のコンディショニングコーチだった立花龍司・ロッテヘッドコンディショニングコーチは「絶対にトレーニングを休まない野茂を見て、トレーニングをする選手が増え、選手寿命を長くしてくれた」と野茂の野球に対する姿勢を評価。野茂が入団した時に仰木彬監督(当時)から「あいつは腰をひねって投げることで(ドラフト)1位で入ってきた。(フォームは)直させないから、壊れるかもしれん。しっかりトレーニングさせてくれ」と言われたという。投手の練習といえばキャッチボールとランニングくらいの時代。「日本で初めてトレーニングしながら投げた」と振り返った。
社会人野球の新日鉄堺監督時代に野茂を発掘し、入社を勧めた浜崎満重さん(現宮崎・延岡学園高監督)が、初めて野茂の投球を見たのは大阪・成城工1年生の秋。「モノが違った。あれだけ体をひねるのに軸足がぶれない。将来すごい投手になる可能性があると思った」と思い出を語った。
【関連ニュース】
*****
彼はまさに、日本野球界の先駆者、革命家である。
まず、あの投球フォーム(トルネイド投法)を、周りの反対を押し切り、完成させ、日本のプロ野球界で立派な成績を残したこと。
次に、彼の前に村上氏が日本人としてメジャーに挑戦しているものの、野茂氏がメジャーで成し遂げた功績が日本の野球の評価を高め、その後の日本人選手のメジャー進出のハードルを格段に下げたこと。
最後に、NOMOベースボールクラブというNPO法人で野球クラブを発足させるという発想で、全国から優秀な選手を集め、強豪クラブに仕立て上げていることである。
これからも、日本の野球を発展させるために、ご尽力いただきたい。
現役18年間、お疲れ様でした!
