新書ハスリング(仮)

新書ぐるっぽやっております。

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よければ覗いてやって下さい。


読書・・・最近は、アメリカ文学にはまりつつある。
      まあ日本の作家でも何でも読む。
      小説・新書・文庫・評論・ビジネス書・哲学書・グラビア・料理本・エロ本etc.
      とにかく、限定しないことがモットーであり目標(しかしなかなかこれが出来ない)

更新・・・週に3~4日は。
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さて、というわけで。

今年はいろいろと忙しい一年だった。



ああ、忙しい、忙しいと繰り返しているうちに、ブログなんか書かなくなってしまった。
このままだと来年も何も書かなくなってしまうので、ここいらで仕切り直しをしたいと思います。





基本的には、写真とか適当な読書評とか過去に書いたものは(そのまま残すにしても)何事もなかったかのようにスルーして、全編新書評のみに絞って書いていきます。
ので、引き続き読んで下さる方、どうぞお付き合い下さいませ。


・・・・・・しばらくやってないうちに、ぺたボタンとかなくなっちゃったのね。。





自らへの戒めとして。

久しぶりにウェブ上に文章を書く。



最近個人的に忙しいことが多すぎて、写真は撮れていないし読書量もガクっと減ってしまった。少々の文章を書くネタのストックすらなくなってしまった。

それでも、本タワー(積みっぱなしになったままの種々の本)から一冊引っ張り出しては、カリカリとページを捲っていると、思いがけなく共感して、他の人にも紹介したいような文章にも出会ってしまうわけで。


それがこちら。




『(………)誰しも、何かを批評する時には、とりえあず自分のことは、いったんおく。この、自分をおいている状態に引け目を感じつつ、「お前にそれが言えるのか」という言葉に恐怖を感じつつ、それでも、恥を覚悟で、感じたことを表現するのだ。辛口の批評家ほど、この葛藤が大きいはずだと私は思う。

しかし、自分という存在が誰にも知られなければ何の恐怖も感じることはない。元々自分なんてものはないのだ。架空の人間に何を言わせても、恥も外聞もない。
夜中に書いたラブレターを明くる朝読み返して、恥ずかしくなって破り捨てたという話は、よくある話だが、これが、無記名の悪戯の手紙なら、どんな手紙でも投函できるだろう。
今、インターネット上には、夜中に書いたラブレターが溢れているのではないだろうか。
剥き出しの感情。剥き出しの言葉。 』


爆笑問題・太田光 『爆笑問題集』p272-p273より 





引用元は、雑誌に連載されていた爆笑問題・太田光の文章からである。1999年のテレビブロス。




この文章が書かれた11年前に比べて、ネット社会は進んだ。コミュニケーションツールの選択肢は増加した。mixiの日記であれ、アマゾンレビューであれ、人が「なにか」を書くことの機会(そしてそれが不特定多数の人間に見られる機会)は増えた。


が、どうも書き手の方は何も進化(深化)していない。
パラパラとブログを見ても、インターネットの文章には相変わらず「葛藤」が欠けている。褒めるにしても、けなすにしても、基本的に「自分がどう思った」ことが大事であって、自分の気持ちさえ発散出来ればそれでいいというような文章が多い。
自分中心の、「他者性」が欠けた文章の数々。


ブログにしても何にしても、自己の感想・思いをそのまま発散したものってのは、基本的に「イタい」ものであるはずなのだ。熱量を込めて、その本や音楽や映画がどれだけ好きか(または嫌いか)をつらつらと語りつくしたところで、結局、



「お前は何様のつもりだ」



という一言にどこまでいっても勝てない。



ただし、勝てないからといって、私は「偉そうに物事を語るな、書くな、黙ってろ」という事を申し上げたいわけではない(申し上げたい輩もいないわけではないが)。
かくいう私も現在進行形でこのブログ上で文章を書いているのだから。



「お前は何様のつもりだ」という一言を自らの喉元に突き付けつつ、それでも自分の内奥にある「何か」を「誰か」に伝えるために、または、その「誰か」にきちんと伝わるようにと、頭をひねって、言葉を選んで、悩んで、立ち止まって、文章を書いているのか。私自信への問いかけとして、ここははっきり伝えておきたい。



書き手がプロであるかアマチュアであるか、という話でもない。
かような境界線なんてこの御時世では消えかかっているではないか。
そのような「引け目」がなければ、プロが書こうが素人が書こうが、読者の感動は生まれないし、薄っぺらな自己満足しか味わえない。それでもいい?


少なくとも私は、そんな気持ちの悪い自尊心を満たす為だけのブログは嫌だなあ、と思う。自分自身の「葛藤」を、何度も何度も確かめながら、ビクビクしながらも皆さんに申し上げたい。



あなたのことばは、剥き出しになっていませんか?




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5月の読書まとめ―読書メーター―

わはははは。また間があいた。書くことがまともに続いているのは読書メーターのほうだけ。


5月は少なめ。


5月の読書メーター
読んだ本の数:15冊
読んだページ数:3222ページ

態度が悪くてすみません―内なる「他者」との出会い (角川oneテーマ21)態度が悪くてすみません―内なる「他者」との出会い (角川oneテーマ21)
相互コミュニケーションに関する考察。舞踊・教育・大学などなど筆者の関心を得る場には、「ためらい」があり、「わりきれないコミュニケーション」があると。カチッと言いたいことをテクニカルに伝える技術を磨くことよか、「澱みのコミュニケーション」を大切にしていくべきであるという筆者の主張は、実は非常に「有用性」があり「めちゃ使える」テクニックである、と私は思う。このアクチュアルさこそが内田樹という書き手が優れている点である。
読了日:05月30日 著者:内田 樹
仏教と資本主義 (新潮新書)仏教と資本主義 (新潮新書)
ウェーバーの『プロ倫』における、西洋資本主義の発達をプロテスタンティズム(というかカルヴィニズム)と結びつけた考察が、日本の宗教指導者の行動に似ているという指摘。すなわち、行基や法然のやったことが多分に資本主義、というわけ。これが日欧だけの局地的現象か、あるいはイスラーム社会においても似たようなアナロジーが指摘可能かどうかは、引き続きどっかの社会学者か宗教学者か経済学者がやって欲しいところ。文章も平易で読み易い。まあ直木賞作家に巧いっすね、なんていうのも失礼な話か。
読了日:05月26日 著者:長部 日出雄
読書家の新技術 (朝日文庫)読書家の新技術 (朝日文庫)
社会人、会社人間こそが読者をして知的武装をすべきとうう主張に深く同意。実際の技術的側面(読書カード・索引を作る等)に関しては、時代が変わりすぎてしまった感があるにしても、近代教養と実学の奇妙な接合を見てとって、会社での振る舞いやら部下のマネジメントやら「知的気取りのリーマン」どものため『だけ』に「論語」は読まれなければならねーのかよ、「論語」ってそれだけの魅力しかないのかよ、という筆者の問いかけは全く風化していない(前述部分は私による要約)。
読了日:05月24日 著者:呉 智英
知識だけあるバカになるな!知識だけあるバカになるな!
真に生産的なクリティカル・シンキングの策定方法の初級者向け入門書。仲正昌樹のことを知らない読者なら、丁度始めやすい本かも。本当に基本的なことしか書いていないが、教授と学生の世間話に終わっているような大学のゼミのことをよく見聞きするので、筆者の問題意識は大切。アイロニカルで辛口な『仲正節』はまだマイルドなほう、だと思う。
読了日:05月20日 著者:仲正 昌樹
幕末維新に学ぶ現在幕末維新に学ぶ現在
これは面白い!碩学の徒、山内博士が幕末・明治期の功労者、変革者を余すとこなく活写した偉人伝。岩倉卿みたいな明治維新の王道から、小栗忠順のような不遇の幕臣、伊庭八郎のような「アイドル」まで。現今の政治家には辛い言い回しが目立つが、ここまでの混迷振りを見るとむべなるかな、というところだろうか。現在の政治「屋」さんのお歴々に、本書の志士たちのように活躍して下さいなんて『無茶』は言わないが、せめて彼らから学ぶことは忘れないで欲しいもんだ。
読了日:05月18日 著者:山内 昌之
今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)
ハンナ・アーレント読解。アーレントは、帝国主義を生み、ファシズムに繋がってしまった基となる西洋・近代的な人間観の問題点を、古代西洋のポリスにおける人間定義を分析することによってブラッシュアップすることを試みていると。こうしてみるとアーレントの問題意識は、首尾一貫しているように見える。人文系の大学生には是非お勧めしたい(この程度の分量の新書くらい、素面で読んで欲しい)本。著者の特徴である、きっつい厭味も少ない真っ当な論文。仲正昌樹の仕事に外れなし。
読了日:05月17日 著者:仲正 昌樹
思想なんかいらない生活 (ちくま新書)思想なんかいらない生活 (ちくま新書)
知識人・評論家もきらい。本なんか読んで偉ぶってる(もしかしたら私のようなやつも)もきらい。みんな実はバカなやつ。という強烈な「厭味」の奥底には、「ただふつうにいきる、知に寄り添い生きる」ことを求め続けた著者自身の誠実な思いだけがある。インテリへの罵倒にケラケラ笑いながらも、その人生の無意味さから決して逃げない姿に心を打たれてしまう。読者の知的土台をぶっこわして、「知」の再認識を促してくれる、優れた本。
読了日:05月15日 著者:勢古 浩爾
わしズム 2009年 3/25号 [雑誌]わしズム 2009年 3/25号 [雑誌]
古書で見つけて再読。これだけ執筆陣が充実した雑誌を編集長として作っていたあたり、さすがよしりんと言うべきか。こうの史代の「なぞなぞさん」が優れてクリティカルでいい!
読了日:05月09日 著者:
ドキュメント平成革新官僚―「公僕」たちの構造改革 (中公新書ラクレ)ドキュメント平成革新官僚―「公僕」たちの構造改革 (中公新書ラクレ)
非常に良質な行政ルポ。ミヤテツが監修し、小野展克が執筆。小泉内閣時代の行政刷新期における、改革官僚の苦闘を活写している。「政治主導」という名聞のもと民主党に政権交代がなされたわけだが、本書に出てくる志の高い中堅官僚たちは、現在の政治家の迷走ぶりをどう見ているのだろうか。何かを一方的に批判することでは何も解決しない。政治家も経営者も国民もマスコミも「公僕」も、「より良い形」とは何かを常に問いかけなければならない。
読了日:05月08日 著者:宮崎 哲弥,小野 展克
ノモンハン戦争―モンゴルと満洲国 (岩波新書)ノモンハン戦争―モンゴルと満洲国 (岩波新書)
ノモンハン戦争から見る、日、蒙、中、露の近現代史。当時の戦争遂行条件、背景を丹念に追跡していき、「ノモンハンを回避することは可能だったのか」という問いかけは生産的であり意味を持つ。非常に労作であることには違いないが、結局(日本側の問題として)「関東軍の冒険主義」とか「日本のマンジュ地区・蒙古民族居住地区への無理解」という多分にイデオロギカルなタームに理由が収斂していくしかないのか、という疑問は残る。左様な結論も勿論妥当ではあるが、それでもまだ「何故?」は残る。
読了日:05月05日 著者:田中 克彦
勧進帳―日本人論の原像 (ちくま新書)勧進帳―日本人論の原像 (ちくま新書)
歌舞伎・『勧進帳』を歴史的、社会史的に読み解く。演題、演者を精緻に分析してゆくと、弁慶・富樫・義経の登場人物に日本人特有の社会観が透けて見えるという指摘は示唆に富む。これは単にポストモダン的なアナロジーでそういうことを言いたいのではなく、勧進帳の成立を追っていくと、その都度「古典回帰」が見られ、それが何度も日本人の共感を得てきたからこそ、この演目に日本文化の「原型」を視ることが出来るのだ、という指摘であることに注意。
読了日:05月05日 著者:渡辺 保
日本の10大新宗教 (幻冬舎新書)日本の10大新宗教 (幻冬舎新書)
日本近代~現代に至るいわゆる「新宗教」の社会史。各宗教とも簡潔に整理されており、宗教の入門書として最適。それにしても、100年前後の歴史を辿った新宗教の数の多いこと。これじゃ、伝統的宗教・宗派の方が少数派ではないか。ウェーバーの『プロ倫』を引き合いに出すまでもないが、宗教信仰と近代的価値観にはやはり相関関係があるのだ。オウム事件でドツボに嵌まった著者ではあるが、最近の仕事は非常に丁寧で助かる。
読了日:05月03日 著者:島田 裕巳
路上のボールペン (新潮文庫)路上のボールペン (新潮文庫)
小島慶子嬢のラジオ、キラキラで紹介されていたので読んでみる。寺山修司への弔辞。『私には、あなたは何より、姿であり声であり、筆跡でありました。』と。確かに美文だ。素晴らしい。他のエッセイも軽快かつ、とてもとてもあたたかい。特に最後の「愛人と隠し子」騒動なんて、満員電車の中で一人にやつきながら読んでしまった。
読了日:05月02日 著者:山田 太一
王様の仕立て屋 26 ~サルト・フィニート~ (ジャンプコミックスデラックス)王様の仕立て屋 26 ~サルト・フィニート~ (ジャンプコミックスデラックス)
この巻の主役は生地ではない。クラリッサでもなければ、悠でもない。ラウラの親父である。自分の娘との騒動を出汁にして、未だに父娘の確執を引き摺り続けているユーリアを大人な意見で諭すという粋な役回り。普段は地味で小役人気質で太鼓持ち役のくせに、数ページでオイシイとこ全部持っていきやがった。「成長しない完璧な」存在として主人公・織部悠が君臨するかぎり、ラウラやユーリアの役回りは今後の物語上重要で、面白味を出すエッセンスになってくるだろう。
読了日:05月02日 著者:大河原 遁
日本の「ミドルパワー」外交―戦後日本の選択と構想 (ちくま新書)日本の「ミドルパワー」外交―戦後日本の選択と構想 (ちくま新書)
各国間のパワーバランスを計りながらも、自国の国益をを目指す為には、冷静な現状認識と判断力が求められる。米中という二国に挟まれ、大国的な主義主張を押し通す「強権外交」ではなく、緩衝地帯としてのニッチな外交戦略を目指すべき、という筆者の主張には説得力がある。普天間基地に関する現政権の迷走ぶりも、結局八方美人に「妄想」を吐いたが故であろう。国益の為に「リアリスト」に徹し切れるような本当の意味での國士が現れるのは何時の日になるだらうか…
読了日:05月02日 著者:添谷 芳秀

読書メーター




ここ最近の政治の動きについて少々短めに。



先般辞任した鳩山総理について。


私は強烈な自民党支持者でも、民主党支持者でもない(勿論、社民でも公明でも共産党でもない)。
有権者になって以来は、各政党の公約と、その時々の政党に「シンパシー」を感じられる政党及び立候補者に投票している。




政権交代が成った最初の総理大臣として、鳩山由紀夫は多くの実現したい構想や、法案があったことであろう。
わずか八ヶ月の在任では、その理想の半分も出来なかったのではないだろうか。

その責は、無論本人の私的迂闊さにある。その点には多くの世論(せろん)と同じく、私も同意するし、辞任して当然という意見にも異論はない。



ただ、それでも、あの両院総会での演説は素晴らしかった。



私はたまたまTV中継を見ていたが、本人の無念さ、小沢を道連れにするという選択、言葉遣い、非常によく伝わった(本人が考えた原稿なのか、及び平田オリザあたりに演技指導を受けていたのか等々あるにしても)。


ここまでの「言葉の強度」を持ちながら、首相在任時に何故にあれだけの迷いを見せていたのか、私にはよくわからなくなってしまった。



まあ、とにかく、辞めてしまったのだから、いろいろ(というかかなり?)問題はあったにせよ、私は素直に「お疲れ様でした」と言ってあげたい。


「奥さんと恋人みたいに指を絡ませて手を繋ぐのだけはホントいい年してみっともないから止めてくださいね」、とも言ってあげたい。


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