作曲家の小林亜星さんの訃報がテレビから流れてきた。
去年から天才作曲家の訃報が相次いだ。リトル・リチャード、エドワード・ヴァン・ヘイレン、筒美京平。なんとも寂しい限りだ。
彼らついて俺が語ってもそんなものは誰も興味がないのでいちいち書かないが。
たとえば、「桑田佳祐、リトル・リチャードを語る」
とか「松本孝弘、エディ・ヴァン・ヘイレンを語る」
とかいう本が出たら何万部かは売れるだろが、俺が語ってもしようがない。
そうそう、俺はヴィヴァルディのことを書きたかったのだ。
ヴィヴァルディの代表作で、「四季」という曲がある。
この曲は春夏秋冬それぞれ3曲ずつ、計12曲からなる、まさに「四季」というタイトルそのままの曲だ。
この曲の凄いところは、12曲すべてが名曲である、ということだ。
ここ50年ほどで、すべてが名曲というアルバムは,
レッド・ツェッペリンのセカンド・アルバム
デヴィッドボウイの ZIGGY STARDUST
ドリカムの LOVE GOES ON・・・
椎名林檎の 勝訴ストリップ
くらいのものだろう。多くの異論があるだろうが。
ドリカムの The Swinging Star とかサザンの NUDE MAN のように名曲がいっぱいのアルバムはいくつもあるが、すべてが名曲というのはなかなか難しいのだろう。
ヴィヴァルディに話を戻す。
この曲の「夏」の3曲を聴くと、
「ヴィヴァルディって暑さに弱かったのかなあ」
と思ってしまう。
彼はきっと夏が嫌いだったのだろう。
過酷な季節をなんとか乗り越えなきゃ、と、ヴィヴァルディが自分に言い聞かせながら書いたように聞こえる。
もしヴィヴァルディが今生き帰ったら、
「俺の頃よりもっと暑くなっとるやないか!」
と嘆くと思う。
もう少し想像を広げてみる。
当時、夏という季節は飢餓と隣り合わせのものだったのだろう。
だから、夏が好きな奴などいなかったのかもしれない。
「四季」と産業革命を結び付けて考えたら面白い文章が書けるかもしれない。
この文章のタイトルは「夏が来る」だった。
大黒摩季の「夏が来る」という名曲があるが、これは令和天皇のご成婚のニュースが日本中を駆け巡った頃に大黒さんが周りから「摩季ちゃんは結婚しないの?」とひつこく言われて、そのストレスを芸術作品に昇華させたもので、「春が来る」よりも「夏が来る」の方がより情熱的だなと大黒さんが判断して、
って、だから語るなっつーの。
リトル・リチャードはロック音楽の創始者の一人であると同時にヒップホップ音楽の源流でもある、とか、そういうのは音楽評論家に任せておけばいい。また語っちゃった。
俺はいったい何が言いたかったのだろう。
いいじゃん、エッセイなんだから。