いろいろと人にものを教えるという機会をいただきますが、以前は「教える」のだという気持ちが
強くありました。教えるからには間違いが無いようにきちんと勉強して、教える分野に関しては
すべて理解して答えられないことはないようにと努力することをよくやっていました。
1時間程度の講義に対して10時間、20時間準備をするということもよくやりました。
でも、最近はちょっと肩の力が抜けています。
人が行動ややり方を変えるというのは教えられたから変えるのではなく、本人が気がついてこのやり方では上手くいかないから自分でやめるものだと思うようになりました。
あと勝つため、上手くいくために努力するではなく、知ることが楽しい、その物事に触れることが楽しい、
その世界の楽しいことを伝えることに重きを置くようになりました。
仏教を使いこなすとこんな楽しいことが出来るよ。自分の願いが叶うようになるよ。人生が上手くいくようになるよ。世の中の分からないことがよく分かるようになるよ。そして使いこなせばすごいことが出来るよ。だから楽しいもので、面白いものだよということを伝えるようにしています。
形や上手くいくマニュアルをそのとおりにさせるより、どうしてそのマニュアルや形が作られたか背景を知り現状に合わせたものを作り出すことが必要かなと個人的には思っています。
これは決められた答えを答案に書くことではなく、自分で考えて気がついたことを工夫して改めてゆく作業です。
世の中のまだ解けていない問題を解いてゆく人材を育てるにはこういった方向性が必要だと思っています。社会や組織の問題を解いてゆく指導的な立場になる方にはどうやれば、人の社会の問題が解けるかという知恵の宝庫である仏教の価値に気がついてもらえたらいいなと思っています。
多くの問題は人が作ります。人についてよく知らずして問題を解くことは難しいです。
形骸化や権威、伝統と格式、いろいろ大変なものもありますが、その根底に流れている社会に普及した力の源泉は2500年たった今でも十分に使えます。
仏教には人についての気づきがたくさん眠っています。
教え込んで育てるより、気がついて自分で行動を変えるを大事にしたいと思っています。人は人の都合のよいように加工することはできません。気がついてその人なりに上手くいくスタイル見つけるだけです。
当山に教育を依頼していただく方にはこういったことも理解して申し込んでいただけたらうれしいです。