新年を迎え、半月程度経過いたしました。今年も又、思い出す日があります。
1995年(平成7年)1月17日です。あの兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)です。
ワシは、94年5月位~95年3月か4月位まで大阪に出張していました。
仕事は、京橋~森ノ宮間(だったかな)地下鉄を通す仕事に携わっていました。
日々、地下鉄で大阪港~森ノ宮、JRで森ノ宮~京橋まで往復の毎日。
宿泊していたのは、天保山や海遊館の直ぐ近くの 「励明園」と言う漢方風呂の有名な
ビジネスホテルというか、旅館に長期滞在していました。
そこで震災の体験をしました。早朝で(調べ 5:46)もあり、ワシ、寝過ごして誰かが
ゆすって起こしている。という感覚だが、凄い突き上げで現実に戻りました。
はっきり目が覚めても、どうする事も出来ず布団の中で突き上げが収まるのを待ちました。
突き上げも収まり、部屋を出た瞬間・・・名古屋から出張で来ていたおじさんが、下半身
何も履かず、震えて「地震だ、地震だ」と大きい声で訴えていた。
ワシは、「解ってる、収まっている時に尻を拭いて、流して来い」とアドバイスをした。
(今回は、ボケ・つっこみ無しやろが
真面目に戻せ)
外へ出ると、小屋は倒壊して道路は凸凹、水道管は破裂し噴水状態。
悲惨な光景でした。自宅へ電話を・・・携帯がつながらない(あの時代はデジタル)
公衆電話は運良くつながった。岡山県は揺れたが、被害が無いとのことでした。
部屋に戻りテレビにて神戸の悲惨な状態を知りました。阪神高速も倒壊。
新幹線も倒壊箇所有り。日々、通勤時に毎日神戸に煙が上がって火災の様子が
解りました。
今現代においても、地震予知は確かな物は無いといいます。
防災意識を高める。「今、自分に何ができるかを考える」この言葉を常に心に留める。
人はどのような事件も、災害も、自分に関わりないことは特に時間の流れとともに
忘れてしまう。ならば、せめて覚えておこうと思う、それが人の努めではないでしょうか。
多くの情報を多くの方へ伝え、人の記憶を呼び、今後に生かす活動をして行きたいですね。
思いつきで綴った文章なので、乱文となりまとまりが無くすいません。