台風18号が過ぎ去ったあとの東京。

雲ひとつない青空に太陽の光がまぶしい。
道には風に飛ばされた小枝や葉っぱが散乱している。

近くのレストランで遅い昼食を取りながら外を眺めていて、ふと「この感覚は、以前どこかで味わったことがある」と思った。
大きな物が過ぎ去った後の空白の時間の中にいるような、ポカンとした感覚。

ぼんやりした頭で「何だろう?」と思っているうちに、7年前、母が亡くなった日のことを思い出した。

母は約一年間体を患った後に亡くなった。
病院への見舞いや自宅での看病、それまで当たり前であった生活がガラッと変った。
後に家内が「あの時のあなたの後姿は今でも忘れられない」と言っていた。
私自身、全てのことに心血を注いだ感があった。

所用で東北へ向かう新幹線の中、父から「もう、いけないかも知れない」との電話があり、急遽帰りの電車に乗り換えた。
焦る気持ちとは裏腹に時間ばかりが過ぎる。
福島を過ぎた辺りだろうか、車窓に一面の菜の花畑が広がった。
「2月のこの時期に?」と目を疑ったが確かに菜の花畑だった。
その瞬間、母が亡くなったことを悟った。
菜の花は母の大好きな花だった。
電車の中、私は人目をはばからず泣いた。

横浜からタクシーに乗り実家の近くで車を降りると春の陽気のような穏やかな日差しと風が、緊迫した状況とは思えないほど心に安らぎを与えてくれた。
実家に戻ると母の顔には白い布がかけられていた。
父が最期まで手を握り看取ったそうだ。
部屋の空気はすうっと澄んでいた。

今、嵐の過ぎ去った後の光景をこのレストランで眺めながら、当時と同じ感覚に出会うのも不思議なものだ。
人の生と死に向き合った一年間は嵐のようなものだったのかも知れない。

一生をどう過ごすか、そしてどう死を迎えるかは人それぞれなのだろう。
そして、それをどのように受け止めるかも・・・

ただ、私の中の感覚として、人生という嵐を生き切った後にあるものは、この窓から見える光景に似たような世界がそこにはある、そう思うのです。